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あの頃は・・・2004

画像見て懐かしい!って思った人いるでしょう!

2004年にMTBレースシーンでみんな楽しみにしていたフリーペーパー「MS」ですね。

白いウェアーの「5番」が私内嶋です。

MSでは公式戦ジャパンシリーズのダウンヒル、クロスカントリーの各種目をレポートしたり、選手インタビューだったりとフリーペーパーとしては勿体無いくらいの充実の内容で、レポートでもインタビューでもたくさん掲載していただき、おかげさまで沢山のファンにも恵まれました。

そうなるとスポンサーも付きやすくなりますし、契約内容にだって影響してくるわけです。

さてさてここから少し深い?話に入ってみようかと。

2001〜2003年までは「A&F SANTACRUZ」というチームで契約し、契約金と活動資金を援助いただきレース活動を行なっていましたが、2003年で契約終了となったタイミングでこの2004年はオウンチーム「RYO77」でシーズンを戦うことに。

HONDAから開発中のRN01を与えていただき、曙ブレーキ、生沢マーケティング様の支援を得ての1年限定の活動でした。

なぜ1年限定かと言うと、HONDAサテライトチーム扱いでのこのシーズンでチャンピオンを獲得し、本家HONDAのワークスチーム入りを明確な目標と定め、ダメだったらもう1年と言う選択肢を排除し、何ながなんでもやりきると言う決意、そして自分を追い込む理由を作るためでした。

潤沢に資金があるわけでもなく、シーズン開幕前まではアルバイトもしながら粛々と準備をし、ジャパンシリーズチャンピオンを獲得して念願のHRCワークスライダーと言う立場を手に入れることに成功したのでした。

若さ故のハイリスクハイリターンへの挑戦だったのかもしれませんが、当時の熱量はすごかったなと思い出しますね。

当然ながらワークスライダーとなればアルバイトなど全く必要なく、同世代の平均年収+αの契約金に加え、公式戦優勝時には大きな賞金をいただき、雑誌やテレビ、DVDなどの出演も多数あったので都度業務費をいただけると言う素晴らしい環境でしたね。

ウェアーやその他スポンサーからも契約金を頂戴し、総額2000万ほどまでその数字を伸ばすことができました。

とはいえ自分への投資(トレーニング、ケア、個人練習等の費用)もそれなりにあったので、結局は世代平均年収と言うところになっちゃうんですが・・・

速くなってトップチームに加入できればしっかり稼げる時代。

素敵でした。

現在のMTBライダーの環境は相当に厳しいものがあり、当時のようにはならないでしょう。

しかし当時は速くてレースで勝つことに価値があったわけですが、その価値の本質はどこにあったのでしょうか???

勝てば使用している車両やパーツがバカ売れなんて時代でもなかったので、「そう言うもの」と言うなんとなくの認識の中でこのような環境がたまたまあった。もしくは昔からの流れで残っていただけだったのかなと。

速いことは確かに価値があるかもしれませんが、それを上手に活かさなくては全く稼げないことは明白。

勝つことや速く走ることにいくつもの+をして自分の価値を更にあげることがこれから生き抜くための秘訣なんだろうと。 本当はあの時代からそれは始まっていたんじゃないかと今思うわけです。

僕自身があの頃の熱量でレースを走ることは現実的ではありませんが、今の自分の価値をあげ、それを活かした新たな活動が今後につながると信じ、「もう少し」「もう一回」ライダーをやっていこう! そんな決意の2020シーズンですので、みなさん引き続きお付き合いくださいね!


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1997年から2008年までMTBダウンヒルのプロレーサーとして数度のチャンピオンを獲得。 現在はMTBイベント運営を行う株式会社ダイナコの代表を勤めながら、MTB、モータサイクル両ジャンルにおいてメーカーとスポンサー契約を結ぶプロライダーとして活動中。