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創造とは記憶である。by黒澤明

創造というのは、映画でも音楽でも詩でも小説でも彫刻でも水墨画でも全てを包括した意味での創造です。

黒澤明『創造というのは記憶ですね。自分の経験やいろいろなものを読んで記憶に残っていたものが足がかりになって、何かが創れるんで、無から創造できるはずがない』

前回の記事で、小説とは無から有を生み出す仕事、というように書きましたが正確には違います。黒澤明の自伝『蝦蟇の油』の中で、映画『醜聞《スキャンダル》』を制作していた時、志村喬が演ずる哀愁を帯びた(三流)弁護士には、実はモデルが居て、とある酒場で飲んだくれて娘の不幸な身の上話をしていた男がいた。その男のことを、ずっと忘れていたのだけれども、脚本を書き上げてから「これは、あの酒場の男だ!」と気づいたという逸話があります。

別段、暗い経験ばかりでなく、明るい経験、楽しかった経験、初恋の記憶、そうしたものも創造の一助となることでしょう。

新世紀エヴァンゲリオンの庵野秀明監督は、子供の頃から吸収したウルトラマンやゴジラやヤマトやガンダムやデビルマンといった作品のオマージュで『ふしぎの海のナディア』までのアニメ作品を監督してきました。
それで、自分の作品は誰かの寄せ集めに過ぎない、自分にとっての本当のオリジナルとはなんだろう? と、考えて、自分にとってのオリジナルは自分がこれまで経験してきた人生以外に何もない、という結論に達します。
そして作った『新世紀エヴァンゲリオン』は、戦闘シーンよりも日常パートの方が面白いという逆転現象が起きる。日常パートは、庵野秀明のこれまでの人生のドキュメンタリーである訳です。エヴァ以降、エヴァの作風を真似た二番煎じのアニメが量産されましたが、何れもエヴァのような社会現象を巻き起こすことはなかった。それは、作り手側が自分の人生をアニメに投影せず、庵野秀明のシャープで切れ味のいい画作りを真似ただけのアニメで、中身が空っぽだったからです。

実体験のみならず、自分で興味を持って調べたこと(釣りでもスポーツカーでも競輪でもなんでもいい)は、自分だけのオリジナルの記憶となります。

話はそれますが、文章力をあげるには、兎に角たくさん本を読むことです。それも唯やみくもに読むのではなく、系統立てて読んだほうが効率が良い。

又吉直樹が書いた小説の紹介本『第2図書係補佐 (幻冬舎よしもと文庫)』には、文学初心者向けの本が多く紹介されています。

また、僕が実践しているのは、芥川賞や直木賞を受賞した小説を片っ端から読むということです。最近、お気に入りなのは中村文則村田沙耶香山田詠美です。以前は、綿矢りさもよく読んでいました。

庵野秀明は村上龍が好きみたいで、そちらも読んでみたいと思っています。
僕が、本当に純粋に娯楽として手に取る小説は伊坂幸太郎です。

また、映画館にもよく足を運びますし、自宅の大型有機ELテレビでAmazonプライムやNetflixの映画を観ることも多いです。

それらもまた、僕にとっての記憶のピースです。映画ではストーリィを学び、小説では心理描写や文体を学びます。

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