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「京大 おどろきのウイルス学講義」を読んで

海水を採取して調べてみると、大量のウイルス(深海では1㎖に100万個、沿岸の海水では1億個)が見つかっています。それらのほとんどは、未同定のウイルスです。どんなウイルスか、どんな働きをしているのか、まったくわからないウイルスばかりです。物質量(カーボン(炭素)量)で見積もると、人類全体より、地球上のウイルス全体のほうが重いと推測されています。一つひとつのウイルスは非常に小さいものですが、大量のウイルスがいるため、重量換算すると、ウイルスのほうが人間より重くなるんです。 (宮沢孝幸「京大 おどろきのウイルス学講義」より、以下引用部同じ)

 ウイルスの研究をされている宮沢孝幸先生の著書「京大 おどろきのウイルス学講義」を読むと、何か風通しの良いイメージが頭の中で膨らんだ。そのイメージは言うなれば「ウイルスの海の中で、ウイルスと一体となり僕達は生きている」というようなものだ。ともすれば僕達はウイルスに対して「病気の原因」という限定的な理解、医学的な理解に終始しがちだが、本書で描かれているウイルスは動植物の世界全体を巡るより豊かな存在だ。

 中学生の時、炭素のことを考えていて驚いたことがある。それは「僕の体を構成する炭素原子の一つは、かつてアイザック・ニュートンやゴータマ・シッダールタの体を構成していた炭素原子かもしれない」ということだ。もちろん、その可能性は低いだろう。だけど、世界を原子が循環しているのであれば、それは有り得ないことではない。いや、話の本質はニュートンだったかどうかにはない。僕が僕のものだと思っている体内の炭素原子は、全て過去のある時点で「誰か」だったし「何か」だったということがマインドブローイングなことだった。アマゾンに生えていた木だったかもしれないし、深い海を泳ぐクジラだったかもしれない。コンコルドの翼をくぐった二酸化炭素だったかもしれない。ステゴサウルスだったかもしれない。豊臣秀吉だったかもしれない。ラスコーの洞窟に絵を描いた誰かだったかもしれない。パピルスだったかもしれない。
 もちろん、これは炭素に限らない。酸素、水素、窒素をはじめとしてミネラルや超微量なものも合わせると、人体は数十の元素で構成されている。種類を分けずに原子の数を考えると、10の27乗(1000000000000000000000000000)辺りのオーダーになるという話だ。
 少し話がそれてしまうが、今調べていて面白いサイトを見つけたので紹介していきたい。人体に含まれる原子の数もそこから確かめもせず取ってきたのだけど、そのサイトでは「体重60kgの人間を火葬にし、その原子が地球の全大気中に均等にばらまかれるものとする。地球大気の1リットル中には、その人の原子が平均していくつ含まれる計算になるか?」などを計算している 。>> http://www.isc.meiji.ac.jp/~katotoru/m-chuskys07.html
 さて、僕達の体は10の27乗個というとんでもない数の原子で構成されていて、それら全てが地球の上を循環している過程であるというのははっきりと意識すると凄まじい話だ。長い時間軸で見れば、僕達の身体は原子の海に生じた一時のさざ波に過ぎない。話がもっと複雑であることを現代の僕達は知っている。原子は別に粒子ではないし、素粒子で構成されたさらに微細な構造も持っている。身体が細かい粒の集まりでできているという描像は便宜的なものに過ぎない。僕達は真には想像することも理解することもできない何か(あるいは何かという概念ですらない「何か」)の海の中にできた儚い泡のような存在だ。

 なんだか良くわからないものの泡だと言っていても仕方がないので、高分子やウイルスや細胞のレベルで話を進めたい。
 20年ほど前にヒトゲノムは全部読まれ、以降次世代シーケンサーの恩恵もあり、研究者達が様々な解析を行っている。人間のゲノムを読んでみると、なんとタンパク質を作る為の情報が書かれているのは極僅かな部分だった。

解読されて、研究者たちが驚いたのは、体を作るためのタンパク質をコードする遺伝子の少なさです。「人間は高等で複雑な生き物だから、体のタンパク質を作るために他の生き物よりも多くの遺伝子が使われているだろう」と思われていましたが、解読してみると、タンパク質合成に使われている部分は、30億塩基対のうち、わずか約1・5%。ショウジョウバエの体に使われている遺伝子情報の数とたいして変わらなかったのです。ゲノムDNA情報のうち、1・5%さえあれば、人間は体を維持して生きていけるということなのでしょうか。残りの98・5%はどんな役割を果たしているかよくわからず、「ジャンク情報」と言う研究者もいました。ですが私は、「本当にジャンクなんだろうか。本当は必要なのではないか。進化に関係しているのではないか?」と考えていました

 これはビックリするようなことだが、本書にはさらに驚くことが書かれている。

また、DNAの中には、古代のレトロウイルスである内在性レトロウイルスの配列が8%入っていることもわかりました。その後研究が進み、現在では9%以上入っていることがわかっています。

 タンパク質に関する記述部分が1.5%しかないのに、ウイルスが書き込んだと分かっている部分が8%もある。その8%のうちの一部はなんと人間の胎盤に関係する。

胚盤胞の外側の膜を栄養膜といいますが、子供の胚盤胞の、栄養膜の細胞がお互いに融合して、合胞体性栄養膜を作ります。合胞体性栄養膜の細胞からタンパク分解酵素が産生され、母親の子宮壁の細胞を融かして、胚盤胞が子宮壁の内部にめり込んでいきます。融合した合胞体性栄養膜細胞が胎盤の素となります。この融合細胞を作るときに使われているタンパク質の配列が2000年に同定されたのですが、すでにレトロウイルスとして登録されていたヒト内在性レトロウイルス(HERV)の配列と同じだったのです。このウイルスは、大昔にヒトの祖先動物に感染し、ゲノムに入り込んだと考えられます。この研究は古代のレトロウイルスがヒトの胎盤の進化に関わっていたということを証明したのです。

 話が壮大で僕は唖然としてしまった。度肝を抜かれたと言ってもいい。ウイルスが生物の進化に関与しているというようなことは、漠然と聞いたことがあったが、こんなにダイレクトに関わっているとは想像していなかった。こんなにものすごい研究結果を知らずに良くも今まで生きていたものだと思った。
 近い未来、ウイルスに対するイメージは一気に書き換えられることになるだろう。それは細菌に対する僕達の認識が、近年大きく書き換えられていることをなぞるようなものになるかもしれない。すっかり常識になった腸内細菌や皮膚常在菌の働きは、ほんの10年前まで一般的には語られることがなかった。腸内細菌が自分の性格に影響を与えているかもしれない、なんてことは一昔前まで誰も考えなかった。今や僕達は細菌達と一緒に生きていることを理解しつつある。ウイルスに対する一般的なイメージもそのように書き換わって行くのではないだろうか。僕達はウイルスと共に生きている。多分あらゆるものと一緒に生きている。

 最後に、研究費の問題について本書に記述があったことは無視できない。ウイルスで研究費が付くのは病気に関するものが主で、そうでないものは研究費を獲得するのが大変だということだ。しかし、自然界(動物界)には多種多様のウイルスがあって、いつ何が新興の病気をもたらすウイルスになるか分からない。だから選択と集中をせずにウイルスの研究を行うべきだという主張で、僕はこれにプラクティカルな側面からだけではなく、学問に対する理念からも賛同する。


 
 

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