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教養を学ぼう

こんにちは!段々と文章書くことに慣れてきました。結構楽しいです!
社会人になって時間がない中でも書けるように、今はコツコツ土台を身につけたいと思います。
さて、今回のnoteはどんな内容でしょうか??

こないだ仲のいい後輩と話した時にこんなことを言われました。

「教養ない人って生きててつまんなそう」
「教養くらい最低限身につけないとみっともない」
悪気はないと思いますが、とても刺さりました😇

その日から教養について少し意識するようになり、図書館に行った時に今回紹介する「あらためて教養とは」という本に出会いました。

こちらの本は2004年初版とかなり前の本ですが、教養を身につけるべき理由について考えるいい機会になったので紹介させていただきます。

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教養とは

早速ですが、教養って何のことでしょうか?
教養が大事だ!大事だ!と言われるも教養が何なのかそもそもわからない、、、

本書の著者は、教養とは人間としてのモラルと定義しています。
自分の中に確固たるコンパスとさしがねを持っていて、そこからはみ出さないような生き方のできる人間がいわゆる”教養のある人”と呼ばれます。

おお!言葉を定義してみると教養が大事な理由が見えてきた!
では、こういったモラルはどこから創られるのでしょうか?

答えは宗教です。
ヨーロッパやアメリカ社会では考え方の根幹にキリスト教というモラルがあり、子供は宗教からモラルを学びます。

(おっと、我等日本人無宗教やん🤗)

実は日本人のモラルがどこから形成されているか明確ではないんです。
だから、ザビエルが来日した時や新渡戸稲造がアメリカに訪れた時は、欧米人は日本人は特別な宗教のない社会でどのように論理教育が行われているのか?疑問に思ったそうです。
これを読んで、新渡戸稲造が「武士道」という有名な本を出版した理由がわかった気がします。

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元々は宗教から生まれたモラルですが、十二世紀以降には本格的に学問として知識人としての素養を鍛える機関が誕生します。

その機関が大学です。

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大学の誕生の前に学問の誕生について学んでいきましょう。
次の章では学問の誕生について書いていきます!

学問の完成

十二世紀になって初めてヨーロッパ人達は、ギリシアやローマの古典時代の文献類を、自分たちの手で手に入れるようになります。
古代ギリシア・ローマの古典的な文献をイスラム世界から移入することによって、ヨーロッパの学問が始まりました。

そして十二世紀以降、ラテン語に加えてギリシア語とアラビア語が入ってきたことで本格的な学問が完成します。
日本でいうと、漢語に加えて幕末にヨーロッパ語が入ってきて本格的な言葉としての学問が生まれた歴史と同じですね。

最終的にヨーロッパではラテン語、ギリシア語、アラビア語が学問をするための基本的な言葉となりました。

大学で学ぶこと

ラテン語を共通語へ
色々な言語を話す人々が集まる大学では、学問という問題の前に、言葉を共通させる必要がありました。
様々な言語がある中で、まずはラテン語を共通語としました。

ラテン語を共通語としたことで知識人はラテン語を学び、ヨーロッパではどこでもラテン語が通じるようになります。
ラテン語は「教養」のもっとも基礎となりました。

ラテン語は現在の英語のような役割を果たしていたということですね。

大学では何を学ぶのか
共通言語を基に何を学んでいたのでしょうか。
ヨーロッパでは十二世紀に大学が誕生し、リベラルアーツと呼ばれるものを学ぶようになります。

リベラルアーツとはギリシャ・ローマ時代に理念的な源流を持ち、ヨーロッパの大学制度において中世以降、19世紀後半や20世紀まで、「人が持つ必要がある技芸(実践的な知識・学問)の基本」と見なされた自由七科のことである。具体的には文法学・修辞学・論理学の3学、および算術・幾何(幾何学、図形の学問)・天文学・音楽の4科のこと。

参照:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AA%E3%83%99%E3%83%A9%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%BC%E3%83%84

リベラルアーツが知識人が必ず身につけていなければいけない教養になりました。
普段から「聖書」を読んでいるヨーロッパ人にとってリベラルアーツは非常に熱心に学ばれていたらしいです。

日本ではあまり馴染みのないリベラルアーツですが、現代では教養学部としてリベラルアーツを学ぶことのできる大学もあります。

ネット上でもリベラルアーツについて学べそうなので、勉強してみます!

日本の教養

ここまで教養に関して、ヨーロッパでのリベラルアーツや学問の誕生などを中心にみてきました。
では、日本ではどうだったのでしょうか。

日本に教養が入ってきたのは大正時代です。
この時代に日本は近代化を図り、ヨーロッパから社会制度や教育の内容を移入しようとしました。

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日米大学の違いと問題点
教養を大学教育に取り入れているかどうかが日米大学の大きな違いです。

日本の大学は戦後のアメリカの大学制度を取り入れましたが、二十世紀以降に学部学科制度になり当該の学問のみを学ぶ機関となりました。

一方でアメリカのハーバード大学はリベラルアーツカレッジと呼ばれ四年間でリベラルアーツを学び、その後専門教育を受けるために大学院に進学します。

この教育制度の違いがある大きな事件によって物議を醸します。

オウム真理教事件です。

オウム事件の関係者の中には医学部を出た人もいました。
知的エリートにも関わらずこのような事件を引き起こしてしまったのは、大学教育だけでは身につけられない知的欠如があるのではないかと議論されています。

どれだけ専門的な知識があっても教養がないと社会の中で正しく生きることが難しいということですね。

教養大事!ってことがかなり伝わってきました!

教養は虚学なのか?

結局教養って実学なの?虚学なの?というシンプルな問い。

確かに仕事をする際にラテン語が必要になる瞬間がくるか?と言えばきませんね。
では、教養は虚学なのでしょうか?

筆者は、教養は自分自身を造り上げるためにあると述べ
自分自身を一生をかけて造り上げていく人が教養のある人になれると述べています。

例えば、言葉もただのコミュニケーションツールではなく、その言葉がどのようにして生まれ、どのようにそれぞれの文化を支えているかを知ることが重要です。

何となく時代に流されて生きていくよりも、それぞれの歴史を知り文化を知ることで教養を身につけられそうです。

こう考えると教養は実学か虚学か?という議論はなんの意味も持たないですね。

教養がないってやっぱり恥ずかしい( ̄▽ ̄;)

さいごに

長い文章読んでいただきありがとうございました!

本書は教養をつけるための具体的な方法を示唆をしてくれる本ではないので、次は教養をつけるためにどうするべきかということについて考えてみなきゃですね!
とにかく教養が大事ってことは伝わった(笑)

反省とこれから
実は今回本を読み始めてからnoteを完成させるのに1週間程度の時間を費やしてしまいました、、、

本書は全七章で構成されているのですが、当初は一章ごとにまとめるというやり方でやっていたら膨大な文字数になってしまい書き直しました。

とにかくアウトプットのスピードが遅いことが課題です😓
スピード感が大事ってわかってるはずなのに!難しい!

とはいえ、この失敗から改善しようという意識が芽生えたので結構ポジティブに捉えています!
同じ過ちをしないように次回以降改善していきます!
最後までありがとうございました🤙