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#わたしの執筆スタンス

noteを書くようになって文章を褒めていただけることが増えた。それは純粋にうれしいこと。

僕にとって文章を書くということは、水の深いところに潜っていって、「何か」にタッチして帰ってくることに似ている。息が続く時間は、その時々のコンディションによる。陽射しの入らない真っ暗な場所をいつまでも探索していたい時もあれば、目的地へ最短距離で向かって、軽くタッチして帰ってくることもある。

「教養のエチュード」というオウンドメディアだけで文章を配信していた頃は、とにかく自分が納得できる表現だけを追求していた。自分が好きな言葉を選び、心地良い比喩、思考のカタマリをコラージュさせて濃度を高めていた。

文体やトーンが変わった理由は二つ。一つは仕事。もう一つはnoteのおかげ。


仕事

運がいいことに、文章を書く中で魅力的な人たちと仕事をさせてもらう機会を得ることができた。魅力的な人は、常にたくさんのことを考えている。頭の中の情報量が多い。それはそれは予想していたより遥かに。抽象的な話だけでなく、実際的な話まで意識が行き届いている。そもそも仕事というのはそういうことなのかもしれない。

魅力的な人は、気が利く。世の中だけでなく、目の前の人にまでその錐のような観察眼を向ける。「ただ、そこにいる」というほんのわずかな情報から、想像し、仮説を立て、場違いな言葉を用いることなくコミュニケーションをとる。その振る舞い一つひとつが僕には驚きだった。

彼ら(彼女ら)は常に自分だけでなく、相手を含めた関係性の中で答えを導き出す。だから彼ら(彼女ら)は魅力的だし、仕事が途切れないわけだ。「求められる」というのはそういうことだ。

僕は彼ら(彼女ら)の振る舞いを、自分の文章に応用させていった。もちろん、今の自分にできる範囲で。すると、人から褒めていただくことが増えた。それは文体という単純な話ではない。根本の意識だ。


note

noteは発信ではなく、対話だと思った瞬間から世界は変わる。

いつかのnoteでそんな言葉を書いた。それは本当にそうだと思う。noteはコミュニケーションのツールだ。もちろん圧倒的な筆力で読者の感性をぶん殴って、心を鷲掴みにする書き手もいるだろう。でも、このサービスには適していないと思う。そういう人は紙のメディアで小説を書いたり、文学賞を獲って作家としてやっていった方がいい。

エッセイならまだいいかもしれない。でも、プロの作家が小説をここで掲載するのは、僕はあまりいいとは思わない。映画の宣伝で俳優がバラエティ番組に出るみたいなものだ。目の前の短期的な目的のために、才能という資源を無駄に消耗してはいけない。反論を求めていないから、あえてわかりにくく書いた。

「対話」だと思えば、書き方は変わる。コミュニケーションの中で大切なことは、伝えたり、伝わったりすることだから。「芸術」は簡単に伝わってはおもしろくない。様々な異なるレイヤーを重ねていくことで、「わかりにくく」表現することが求められる。それを受け手の無意識が感知することで、言葉にならない驚きが生まれる。

対話は「芸術」である必要はない。「芸術」を対話のツールにすることはあっても、対話を「芸術」にするのは難易度が高い。そこに必要不可欠な要素は「圧倒的な才能」ということになるから。

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時を戻そう。noteを書くようになって文章を褒めていただけることが増えた。それは純粋にうれしいこと。

ここで重要なことは、「読み手に迎合すべきだ」と言っているわけではない。誰もがわかる言葉で、読みやすい長さで、というのは短絡的な考えだ。ロバートが言っていたからというわけではないけれど、僕は「分かりやすさ」は正義ではないと思っている。

わかりやすいことや相手が喜ぶことだけを書いていたら、つまらない人間になる。それは、自分を消す行為だから。目の前のリアクションだけを求めて、自分自身を希薄化させていく。そんな人に誰が会いたいだろう?

重要なことは上記での「魅力的な人の振る舞い」だ。彼ら(彼女ら)は膨大な量の思考を常に稼働させている。卓越した洞察力と表現力で、相手を包み込む。「相手に迎合すること」と「相手を想うこと」は全く別の行為だ。

まだまだ未熟だけど、僕は彼ら(彼女ら)の振る舞いのような文章をnoteで書いていきたい。その意識が、文体やトーンに影響し、お褒めの言葉が以前より増えたことに繋がっているのだと思う。褒めてもらえるとうれしいよね。だからもっと自分の文章を磨きたいと思うんだ。


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先日、とある人とお話をした。彼は「あの頃のような文章はもう書かないんですか?」と僕に尋ねた。〝あの頃のような〟というのは「自分が好きな言葉を選び、心地良い比喩、思考のカタマリをコラージュさせて濃度を高めていた」頃の文章のこと。

尊敬する人だからうれしかった。僕の中でまた一つ、課題が見えた。僕の文章もまた螺旋状に上達していくのかもしれない。そう思うとわくわくする。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。