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1000文字の手紙〈長谷川晃子さん〉

奇跡を体験した人は強いです。それは、奇跡を信じることができるから。そして、その「奇跡」を何度も再現できる人のことを、人は「天才」と呼ぶのかもしれません。

「天才」と呼ばれる人は、何度も奇跡を起こします。でも、それは他者からの視点での「奇跡」です。当人の中では「奇跡」ではないのかもしれません。そこには緻密な計算と確かなロジックがあるのかもしれない。

何が言いたいのかと言うと、自分自身の中に奇跡を見出した人はそれほど多くないということです。それはまさしく、長谷川さんがMuseと出会った日の出来事。

ぼくはこの文章を読みながら、肌が泡立つような気分になりました。それは、長谷川さんの一生の中で忘れることのない物語だったからです。人生を二時間の映画にした時、必ず映し出される一場面。その物語を読ませていただいたからに他なりません。

先ほど、「奇跡を体験した人は強い」と言いました。
それは、奇跡を信じることができるから。

その奇跡が「他者によってもたらされたもの」ではなく、「自分自身の中で起きたこと」なのであれば、もっと強い。それは、自分自身の内に秘めた奇跡を信じることができるから。

もしかすると天才は、いつの日かに起きた自身の中での奇跡を追い続けているのかもしれません。あの一瞬の悦びを再現するために、表現し続ける、創造し続けるのかもしれない。自分自身の中で追体験を繰り返すのかもしれない。それは自分自身の中に確かな「奇跡」の記憶を持っているから。だから信じることができるし、何があっても継続することができる。

そのようなことを思いました。

長谷川さんはご自身を「(Museの)下僕」という表現をされましたね。たとえ「下僕」であっても、ぼくはあなたのことをとてもうらやましく思います。その体験は決してお金で買えるものではなく、継続の過程で訪れる保証はなく、一生忘れることのない体験だからです。同時にそれは自分自身の中に「絶対的な存在」を見出したことを意味します。ご自身の身体という器に、「下僕」と「Muse」が同居していることを示します。

そう、Museを他者に感じるのではなく、自分自身にの中に感じた体験はかけがえのないものです。「Muse」の存在を信じ続けることができるから。そして、自分自身のことを信じ続けることができるから。

すばらしい体験を読ませてくださり、どうもありがとうございます。




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