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noteさんへの手紙

「書くこと」が好きだった

2019年、僕はたくさん文章を書いた。そこには飛躍があり、ドキドキがあった。僕は「書くこと」で、人生を切り開いていった。

藤原ヒロシさんに単独インタビューさせてもらった。あのドキドキは忘れない。ずっと夢だったTBSラジオで千原徹也さんの特番をつくった。僕のナレーションが憧れの電波にのった。子どもに戻った気分だった。秋山具義さんの本づくりに関わらせてもらった。「一流」の仕事に触れることは、僕の可能性を拡張してくれた。営んでいる店が10周年を迎えた。いつだって平等な「時間」は僕に感謝の気持ちと自信を与えてくれた。

僕はそれらを「言葉」という形あるものに変えて、どこかの誰かに届けた。「書くこと」は僕の最大の武器であり、それを日々磨き続けた。だけど、ある日、それは僕の勘違いだったことに気付いた。

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「読むこと」

僕は「書くこと」よりもずっとたくさん「読むこと」をしていた。「話す」ことの何倍も「聴くこと」をしていた。それは比べものにならないほど。僕の最大の武器は「書くこと」でも「話すこと」でもない。「読むこと」であり「聴くこと」だった。

そして、そのことを教えてくれたのはnoteだった。

noteは「発信」ではなく、「対話」だと思った瞬間から世界が変わる。

大晦日だというのにごめんね。ちょっと難しい話をする。答えはいつだって「自分」の中にある。でも、正解はいつも「相手」の中にあるんだ。そして、僕たちは自分の中にある「答え」と、相手の中にある「正解」を融合させるべきなんだ。理想的な対話というのは、そういうこと。

一つ言えることは「対話」はいつも「読むこと」「聴くこと」からはじめるといい。

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時間があったらね、このことについてもっとわかりやすく書きたい。でもあいにく、僕にも、これを読んでくれているみんなにも、時間がない(「時間」だけは誰にでも平等だから困ったもんだ)。

今年の10月に僕は「教養のエチュード賞」というコンテストを開いた。とても個人的な賞。その少し前にマリナ油森さんが「#呑みながら書きました」という企画を開催していた。僕は、そういう企画に参加したことがなかったんだけど、思い切って飛び込んでみたんだ。彼女の言葉がとても感じ良かったから。

ここからnoteの見え方が変わったような気する。この企画のおかげで、僕は仕事に対する新しい一歩を踏み出すことができたわけだけど、もっと大きな〝何か〟を掴んだ気がするんだ。

この日を機会に、僕はnoteの人たちの文章をたくさん読むようになった。「あなた」の文章についての感じたことを伝えた。そうすると、「わたし」の文章がだんだん変わってきた。不思議だった。「書くこと」よりもずっと、「読むこと」によって大きく育ててもらえた。


たくさんの文章を読む中で、多くの人が抱えている問題を知った。僕は、そんな「あなた」に向けて一通の手紙を書いた。

このnoteは今まで僕が書いたどの記事よりもたくさんスキをもらえた(それは400を超えるほど!)。


多分ね、文章が上達するコツというのは「信頼のおける読み手」がいることなんだと思う。「信頼のおける書き手」には熱をもらえる。noteには一人二役がたくさんいる。

僕は、みんなの「信頼のおける読み手」でありたいと思った。その想いは「教養のエチュード賞」の選考の中で次第に強くなっていった。

僕には「信頼する書き手/読み手」が何人かいる。おそらくその人たちは「あ、自分のことだな」と思っていると思う。そして、それはきっと当たっている。

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2019年の最後のnoteなのに、まとまりのない文章でごめんね。ちなみに、この海の上に昇る太陽は2019年の初日の出。結局、僕が何を言いたいのかというと「noteで関りをもってくれた人にありがとう」ということ。「書くこと」がこんなに楽しい行為だと思わなかったし、「読むこと」がこんなに愛おしい行為だなんて知らなかった。たくさん、たくさん、感謝したい。僕の人生は豊かになった。

どうもありがとう。



そして、これからに対する僕の想いはここに書いた。意志表明みたいなもの。

一緒に高め合ってくれる仲間をつくっていくことができたらなって思う。「信頼する書き手/読み手」として繋がっていけたらなって。わくわくする世界を一緒につくっていこうね。






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「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。