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1000文字の手紙〈だいすーけさん〉

ひとまとまりのことばが届いた。その重量感と存在感のあることばの塊は、アメジストのように光を宿した鉱物然としていた。

紫に煌めく石を、玄能で細かく砕きながら灯りにかざして輝きを味わう。そのおだやかな佇まいと芯のある質感を手のひらで弄んでいるうちに、融けてゆき紫の光がそこに残った。そのやさしい光の束を掴もうとしているうちに気化していく。惹かれながらも、小さな淋しさがそこに残った。

夢を見ているようだった。夢であるにも関わらず、意識は朧げになるのではなく反対に、覚醒していく不思議な感覚を味わった。だいすーけさんがバーテンダーであることを思い出した。酒は意識に移ろいを与え、微睡へといざなう。円熟した蒸留酒にはポエティックな風味を帯びる。その口の中に入れた時の〝ふくらみ〟や一駅先まで続く余韻は、樽の香り豊かな琥珀色のそれそのものなのだが、意識は時間の経過と共にクリアになっていく。

ふと、アメジストについて調べると、そのことばの語源がギリシア語の「amethustos(=酔わせない)」に由来することを知った。比喩表現というフィルターを通して、ぼくの直感はこの作品に対する「何か」を確実に受け取っていたようだ。

ぼくはこの作品を何度か朗読した。一度目はことばを受け取るように。二度目は感情の在りかを追うように。三度目以降からは、声から感情の色は抜けていき、いつのまにか無色透明になっていった。その体験が心地良く、詩とは本来そうあるべきものなのではないかと思ったほどであった。

朗読を繰り返すうちに複数の「あなた」が、やがて一人の「あなた」となり、一人の「わたし」が複数の表情を手にしていった。詩は自由を獲得した。

前世、輪廻転生、継承、赤い糸、という物語は、ストーリーではなく、ナラティブなにぎわいへと変化してみせたのだ。そう、だいすーけさんの詩が、ストーリーからナラティブへと変容したのだった。

永久不変の鉱物でも、時の流れの中で光に変わるということを。それはことばの中で輝きを変え、融け、光を残して消えていく。それは上質の酒を口にした時のように、ぬくもりと華やかさを与え、しばらく経った時にそっと孤独を残していく。その一駅分の余韻は、生命に満ちた花々の写真たちに祝されるようにして、ぐるりと巡って鉱物へと転生する。

だいすーけさん、すばらしい体験をありがとうございました。



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