「人脈づくり」のきもち悪さについて

「古くから知った友達だからそこから買うことにしている」という癒着関係があまり好きではなくて、必要とするものを考え得る最良の選択肢の中で買いたい。

これは吝嗇な発想なのかもしれないが、2度目以降も買うかどうかは1度目で得た便益をちゃんと評価して決定したい。

表明するかどうかは別として、多くの人も似た感覚を持っているのではないか。

現に、買ってくれる友人の多さで初動が良かった営業マンが目先の売れ行きで慢心し、クオリティの追求を疎かにして今となっては閑古鳥、という例を少なからず見てきた。

自分自身も、関係性が良好であることに甘んじて保全をおざなりにした結果、突然の解約を告げられたときにはショックと不甲斐なさでのたうち回る日があった。

お客さんはシビアだ。表向きは友好に見えても、既に次の購入先を探し始めている。

軽快なコミュニケーションは信頼の証と錯覚したくもなるが、身銭で事業を行う立場となった今、そんなことは何ら決定打にはならない。

一にも二にも約束を守れ、と。話はそこからだ。
そしてそもそも、買うという行為は一種の投票行為であり、合法の範囲内で自分が持つ美醜の感覚を体現できる、結構なパフォーマンスである。

なぜ人脈づくりに最注力するような人から商品やサービスを買いたくないのかといえば、自分がその購買によって得る価値が、自分が価値を認めていないような人々、その集いの資金源になることの気持ち悪さがあるからだ。

反社会的勢力の資金源になるナマコを買いたくないのと同じことである。

全て高邁で崇高な使途の出費をするわけではないことは言うまでもないが、買うという行為を通じて相手が得る対価は果たして、自分が賛同できる使われ方をしているのだろうか。

その事業体が存続するためにお金が使われていると言えるだろうか。

今後はそのような観点で取引相手を見る力を養っていきたいし、自分もそう見られることを前提とした経営をしたい。

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