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#0-2.過去と現状(後編)

—-上京前から趣味であったファッションに、
文化的環境に恵まれた事から更にのめり込み始めた。

ここまでが前編で書いたところでしたね、
ここからファッション業界に片足を突っ込んでいきます。

渋谷や下北沢、高円寺といったファッションカルチャーが根ざす街を給料日の次の日に振り込まれた額を全て財布に詰めて、本当に多様な背景を持つ方々と交流をしながら腑に落ちた服を買う。

電車に乗る頃にはバイト代なんてないし、
生活費すらも削っていたけどそこには知らない人やモノとの出会いやまだまだ広がるファッションの世界への興奮に確かな熱が残っていた。

服屋に行く前には必ずリサーチをしており、
自分との波長が合う店に行っていたからか
店頭にいるスタッフやオーナーと長いときは6時間も話し込み、時には飲みや夕飯に連れて行ってもらっていた。

印象的なことは、東京新人デザイナー大賞のイベントでデザイナー達がブース毎にポップアップを開いていた時のことだ、デザイナーの彼はどういったファッションの系統に進むのか悩んでいると勝手に打ち明けた10代の私に「好きな服じゃなくて、気になった服を買いな。自分のファッション領域が広がるよ。」と言ってくれた。この言葉には当時衝撃が走り、もう4年前にもなるがいまだに忘れられない言葉の一つだ。また、彼はとても若者に優しく後日アトリエに招待してくれ長い時間をとって当時の私と対話してくれた。この経験に対する感謝は忘れたことが無い。

その後、大学のカリキュラムで企業インターンシップを行う事になった。級友のみんなは大学から紹介された企業への勤務を希望していたが、自分にはそれら企業での勤務が2日続かない事が明確なくらい興味がなかった。
学生課に問い合わせると勤務先を自身で開拓しても良いとの事だったので、財布に乱雑に入れられたファッション関係の名刺を漁り片っ端から「床掃除でも良いんで、無賃で1週間だけ働かせて下さい。」と頼み込んだ。
その中の1人、神泉で国内若手デザイナーズを中心に取り扱うセレクトショップオーナーが快諾して下さった。

私が後に所属する事になるファッションブランドのデザイナーとはそのインターンシップ期間中に出会った。私の店頭でのインターンシップ期間とそのブランドの展示会期間が被っていた為、少し空いた時間などに雑談をする事があった。聞くと彼は、欧州のモードファッションの登竜門にあたるコンペで優秀な成績を収めた事で、東コレに出場する為の選考の機会を貰ったらしい。1週間、意味のわからない話をずっと続けていると彼は私にその選考の手伝いをして欲しいと誘ってくれた。

その時、私にはその誘いが学校や親が示す当たり前という私にとっては閉塞的な人生のルートから抜け出せる初めてのチャンスに感じた。
誘われてから答えるまでの5秒間で、
これまでの人生が走馬灯の様に駆け抜けた
私は少し涙ぐんで「お願いします。」とだけ伝えた。
そして次の瞬間には、「来月パリに行くけど、着いてくる?」と新しい誘いがあり、これには即答できた私は自身に確かな変化を覚えた。

例の選考の日、いつもと違う何かを感じながら始発に乗って私はデザイナーとブランドのスタッフ達と合流し選考会の会場で空間デザインの設営を行なった。設営の後、審査員が来るのを自分ごとの様に緊張して待っているとデザイナーに呼ばれ「早く服脱いで!」と言われた。
困惑しつつも余りに言うので脱ぐと、コレクションピースを着せられた。
その日がモデルデビューとなった。

審査員が到着した。審査員の面々は誰もが知る有名百貨店のバイヤーやファッション協会の重鎮達だった、そんな彼らに何も臆する事なくプレゼンを行い、時に何故か私に話を振るデザイナーに尊敬と当時は少しの疑問を浮かべたのを覚えている。


今日は駅から自宅までの間に書ける分だけと決めていたのでここで終わりです。

少しでも感情を持ってくれた人は気兼なく 質問でも感想でも関係のないことでもコメント・Follow下さい。

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