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DYINGDAY

おはようございます。

10月13日の新神楽でのワンマンを以てDYINGDAYは解散しました。

高校生の時に始まって、全て含めると17年くらいかな。
ホンマに長いこと、ありがとうございました。

振り返れば色々とも言い難いほど色々あった、というか全てでした。
僕にとっては20代の全て、人生の半分、そりゃそうか、すごいことだ。

自分自身の区切りとしてまとめれたらと思い、パソコンに向かっています。
まとまるんかな?長くなると思うけど、見てもらえたら嬉しい。


東百舌鳥高校、軽音楽部にて結成。
主な活動はクソ狭い部室で練習、部員も割といたので交代制。
あとは廊下でバンドスコア見ながらジャカジャカ。
今思えば夏場のこのクソ狭い部室での練習は最後のワンマンくらい酸欠で暑かったな。
吹奏楽部は音楽室まるまる使ってるくせに俺らはその横のクソ狭い部屋。
不平等を感じながらも、どうでもいいくらい楽しかった。
文化祭の視聴覚室での演奏、新入生歓迎会の部活紹介で体育館でやったライブ。
何か今でも鮮明に覚えてるわ。
天井に書いたDYINGDAYって落書きはまだ残ってるのかな?

部活は楽しかったけど、学校には行かずに最寄り駅にあるスタジオに溜まってる日が増えた。
その時の店長とずっと遊んでた。
「終わったらサイゼ行きましょうよー」
「簡単でかっこいいギターフレーズ教えてーやー」
そんなん言いながら昼間からタムロしてる高校生。
挙げ句の果てにはスタジオのロビーでおかんが作ってくれた弁当を食べたりしてた。
先の事なんて考えてなかった。今が続けばいいと思ってた。

自分がやりたいことなんて小さい時から何もなかった。
譲られへんもんも何にもなくて、色々どうでもよかった。
反抗期も別になかったし、いわば空っぽ。
自分の意思で何かするなんて事はなかった。
でもギターを持って、アンプから出る爆音に触れてから、
確信も自信も何もなかったし、コピーバンドのくせに
初めて何者かになれたような気がしてた。

公園でかっこいいいバンドを聴かせあったり、
一曲もオリジナル曲が無いくせに戦略を立てたり、
何も進んでは行かなかったけど、日々に色がついた感じがした。

結局、高校は留年からの中退でした。どないやねん!

余計にスタジオにタムロするようになる。
両親に会うのが気まずくて深夜に営業が終わってるスタジオの前で寝てたりした。
店開けに来たスタッフに「こいつ明らかに様子がおかしい」と思われだす。

オサ、ネジ、リョウタ、ナオの四人で曲を作って
ライブハウスに出だすが、割とすぐにライブ当日オサが飛ぶ。
とりあえずネジ歌って!となり、それがシックリ来てしまう。
スリーピースのDYINGDAY爆誕。(オサは早よ金返せ、ハゲタコ。)

1stDEMOをレコーディング。
初めてのレコーディングスタジオ。何かメカだらけー!
何も分からんまま、録り終えた音源聞いた時、吹き飛んだ。
クッソカッコええしプロやんけこんなもん!となりました。
エンジニア様様です。

この頃から今でもお世話になってる先輩バンドと出会うようになる。
Down the Rabbit-Holeは怖かった、挨拶してええのか?くらいに。
ギターの人死ぬほど尖ってるやんけー!って。

ROCK SCISSORS PAPERってイベントが中百舌鳥club massiveであった。
Down the Rabbit-Hole、SPIKE26、T.C SPEAKERのスリーマン。
憧れがめちゃくちゃ詰まってた。今でもあの光景また見たいです。

2nd DEMOをレコーディングする頃に、
そろそろ自主企画行っとく?となり、堺東Goithでの自主企画決定。
2nd DEMOも出来上がりには「プロやんけ!こんなもんは!」となってました。

初めての自主企画、めっちゃ人が来てくれた。
当時は、お客さんばかりじゃなくて、
友達がたくさん来てくれたって感じだったかな。
出番前に「100人越えたで!」と耳打ちされてサブイボ立ったん覚えてる。
カミングコーベの裏やのに!とか言うてたけど、
今思えば客層ほぼ被るわけなかったから関係なかったね。

その後、ネジから脱退の申し出。
どうしようかーとなってる時に何度か対バンしたことがあって
マイミクになっていたコジからメッセージ。
「ベースボーカル探してるなら俺どうすか?どうすか?」と。
こんな自信に溢れた男がおるんかと、感動した。
コジのバンドがちょうどその時期解散するようだった。
スタジオで合わしてみて、全部覚えてきやがって、即決だった。

コジとバンドをやるにあたり、
絶対コジが先頭に立ってやったほうがいいと思ったし、
全く別のバンドになるという予感もあったし、
それでいいと、何の躊躇もなかったから、
DYINGDAYはそこからスタートとしました。
だからTシャツとかにはSINCE2011と書いてあるのよ。

神戸から堺に引っ越してきたコジ。
そこからはマジで全てが変わったな。
元々繋がってた先輩にコジを紹介した時に
「あ、はい!コジコジっす!」って言い出した時だけは心配でしたが。

レコーディングをして初めてのツアーへ。
全てが新鮮、美味しいご飯、全力の打ち上げ、死ぬほど金ない。
全部が全部、自分の人生には無いと思ってた景色。

そしてついにTHE NINTH APOLLOから全国流通盤リリース。

すごいことになっていると感じた。
そしてどこまでいけるんだろうと未来を想った。
知ってくれる人がどんどん増えて、ステージから見える景色が焼きついた。
紛れもなく何者かになれている自分が居たと思える。

色んなところに行ったし、アホほど飲んだし、
しょうもない理由で喧嘩もしたし、
それでもずっとこんなんがいいって思ってた。

タワーレコードに自分達のCDが並んでるなんてな。
各地で待ってくれている人がいるなんてな。
BIG CATで3年連続イベントするなんてな。
自分らのイベントで肩車の上で乳出す女がいるなんてな。
憧れのバンドのツアーに呼ばれたりするなんてな。
フェスに出させてもらうことがあるなんてな。
もうね、全部、自分のことじゃ無いみたい。

そして、ドラム、ナオの脱退。
ここでバンド自体を終わらせる選択肢も余裕であったはず。
それでもコジと続けていくことを選んだ。
ここでの少しの迷いは少しだけ引きずることになる。

ARKS/Unblockのリョウマがサポートしてくれてライブできた。
リョウマは昔スタジオに毎日タムロしてた時に出会った後輩なのだ。
各地で昔からの友達と遊んでる感じが最高でした。
最後の新宿ACBにもスタッフとしてついてきてくれた。ありがとうな。

そして訪れたコロナ禍の日々。
ここで先述の少しの迷いがグルグルしていた。
ライブの予定は全てなくなり、どうしたもんかと。
人と会うにも細心の注意を払わなければならない雰囲気。
未知の病を前に、進むべき道が分からなくなった。
毎日自炊して料理の写真をインスタにアップするだけという
今思えばクソおもんない生活していました。

そんな中、コジから突然電話があって「遊ぼうや」と。
普段何もなければ連絡さえ取らなかったのに、だ。

ほんで俺の家にコジが来た。
人と会うのも憚れる時期に、嫁とかその辺大丈夫なんか?と思った。
家にコジが来て、ソファで俺のギターを弾いていた。
「こんなリフどう?格好良くない?」とか言いながら。
最近面白かったテレビやYoutubeの話なんかもしつつ、
こいつはホンマに遊びに来よった!と思っていると、
「ライブは出来ひんけど、今のうちに生活の基盤整えるのもアリじゃない?」って。
思えばそうだ、20代とは違う、背負うものも増えたはずで。
バンド以外にもキッチリしなければならない場面もあるはず。

その日を境に俺のバンドへの向き合い方はハッキリ変わったように思う。
誰かにとってではなく、俺はこいつとバンドをしたいんや。と。
周りと比べるわけじゃなく、俺はやりたくてやってるんだ、と。
グルグルしていた迷いは吹き飛んで、進めないなりにも前を向けた。

俺はこれからもこいつと遊ぶのだ。

そして、新神楽の鹿毛さん経由でシンヤと出会う。

めちゃくちゃ若いし、本当にいいのか?と思いながら、
一緒にDYINGDAYとしてやってくれることに。

ここへきてまたDYINGDAYは進化しました。
今までにないドラムのパターンが新鮮でした。

作品で言えば、サブスク配信のSign Postだけとなりましたが、
今までの曲たちをもう一度一から練習するのは面白かった。

シンヤには本当に感謝をしている。
絶望的な状況の中で、よく入る決断をしてくれたな、と。
ほんで既存曲むちゃくちゃ練習したよな。
ホンマはもっと自分が作った曲増やしたかったやろうな。

徐々にライブをできるようになって、
心の底から嬉しかったけど、
不意にイベント自体が無くなってしまったり、
キャンセルをしてしまうことがあったりして、
もどかしい思いもあった。

各地でシンヤが叩くDYINGDAYはすぐに受け入れられた。
それが本当に嬉しかった、彼はすごいんやで。

元々行ってたところも全部行きたかったし、
初めてのところもたくさん行きたかった。

今まであんまりそんなんせんかったのに
メンバーだけで出先で飯食いに行くのも増えた。
文字通り、一緒に遊んでる感じがたまらなかった。

焦りの類は一切無くなって、
ペースにこだわらず、ずっと続けていけると思った。
無理やり何かを押し除けてではなく、
自分の生活、人生の中にバンドを置くことができたと思った。

そういう気持ちでマジで心の底から楽しかったです。
でもバンドは一人で出来ませんからね。
気持ちや思いをそれぞれが持っているわけで、
ましてや30代の2人と20代の1人。
そんな3人が気持ちを合わせて一つのことをするって難しいね。
誰かに合わせることがマイナスにはたらいてしまう場面もある。
全部をそれぞれが受け入れることは出来ても、
少しのズレは気付かない間に大きくなることもある。

どうしても発表では事細かに書けなかったんですけど、あの文面の通りです。
ライブ見てもらえた人はどこか納得してもらえたんじゃないかと思ってる。
めちゃくちゃいい状態からどんどん悪くなってしまう前に、
取り返しがつかなくなる前に、この3人で無くなってしまう前に、
終わらせるのも一つじゃないかと、話し合いの中で僕が発した。
これからの話をするのも、決断を下すのもこの3人がよかった。
今ある引っ掛かりを取り除くのは続けることでなく終わらせることだった。
続けながら過ごす時間の中で解決は出来ないと思ったからだ。
俺はこの3人が最高に好きで、それ以外ならもう無いと思った。
またこの3人で集まるかどうかなんてマジで約束は出来ないけれど、
DYINGDAYはこの3人で綺麗に終われて本当によかった。
復活ありきなら解散なんてしない。
でも少し、また集まれるような、その小さな可能性を最高の状態で残せたように思う。

発表をしてから、福岡、広島、名古屋、大阪、新宿、大阪とライブをした。
これからもずっと心に持っていくと思えるほど、素晴らしい日ばかりでした。

発表するにあたり、やはりどこかでどのツラ下げて・・・ってのがあって
自分から誰かに連絡をする事を一切しませんでした。ごめんなさい。
直接会った人には言えたんやけど、少し怖かったのかもしれません。

でも残りのライブをする中でたくさん人と話して、
めちゃくちゃいい人だらけやないかー!ってなった。
たくさんの人から連絡をもらって、
やめていくバンドに興味ないわ!って思われてるんじゃ、と
勝手に億劫になってた自分を恥じました。
この期に及んでめちゃくちゃ背中を押されました。

最後の新神楽でオープン前くらいに前ドラムのナオがきた。
久しぶりに会って話して当時の少しのわだかまりが全て解けたようでした。
コジとナオが笑いながら話をしてるのを見てどれだけ嬉しかったか。
一曲だけ無茶振りで叩いてくれた。相変わらず音デカくて速かった。

これからコジもシンヤもバラバラにそれぞれ生きていきます。
どんな道に進んでも俺は本心で応援しようと思ってるし、
どこかで会ったとしても、普通に遊べたらな、と思ってる。
最後まで本当にありがとうね、たくさんお世話になりました。

バンドをやる上で出会えたたくさんの人
みんなとまた会えたら何より素晴らしい事だし、
何かを返せるわけじゃないけれど、関わりは捨てたくない。
自分がこれから何をやるかはマジで分かりません。
バンドはDYINGDAYしかやったことありませんし、
下手くそ故か、サポートを頼まれたこともないし、
1人で弾き語りするとかもマジで気がのらんし。

しばらくは手ぶらで過ごしてみようかなって思ってます。
フラットな感じでライブハウスに遊びにいきたいし、
適当に飲み歩いて、適当に過ごしたい。
フラットっていうても、ずっと元DYINGDAYって
自分でも思って過ごしそうな気がするけどな。

昔から知ってくれてた人も、
最近知ってくれた人も、
ライブに来てくれてた人も、
ライブには来たことなかった人も、
名前だけは知ってるって人も、
心の片隅にでもDYINGDAYを置いてくれてどうもありがとう。

明確なでかい夢は僕には無かった。
自分自身が胸はって何かに一生懸命になれたこの時間全てが
何にも持ってない、何者でも無かった自分には眩しかった。
ステージに立つことも、みんながチケット予約をしてくれること、
一緒になって歌ってくれること、拳を突き上げてくれること、
遠い場所まで安くないお金使ってライブに来てくれたことも、
ぶち上がってぐちゃぐちゃの光景を見ることができたことも、
どんな形であれ、バンドに対しての愛を伝えてくれること、
友達にオススメしてくれたり、CD屋さんで手に取ってくれたり、
グッズを手に取ってくれて、ずっと身につけてくれてたり、
僕らのライブに一緒に来てた2人が結婚してたりとか、
子供に着せたいってキッズT買ってくれたりとか、
僕から見えるあのいい笑顔、向けてくれる気持ち。
全部全部、1人も漏れずに僕の夢を叶えてくれたんよ。
そんな一つ一つで僕はやっと何者かでいられたように思うから。

よく物販におるくせに話しかけてくれても、うまく話せなくてごめんね。
上手く言えんかったけど、心の底から感謝していました。
ほんで案外記憶力えぐいからほとんどの事覚えてます。

本当に、心の底からありがとうございました。

この先もこの日々を否定するようなことは言いませんし、言いようがないですし、
そうしてしまうような行動、生き方は絶対にしません。
大事な大事な日々です。本当にありがとう。

あー!楽しかったなー!くそー!!!

それではこれからの中西良太をよろしくお願いします。

またどこかで!

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