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『横井軍平 ゲーム館 「世界の任天堂」を築いた発想力』を読んだ

これは何か

最近ゲームプロデューサーやゲームプログラマーなどの思考を知りたくて、その一環で横井軍平さんの書籍に巡り合った。

どんな本だったか

ちなみに、途中の開発物と裏話的な部分は一部飛ばして読んだ。

それは自分自身が圧倒的に馴染みのない作品とその裏話を言われても、いまいちピンと来ないから。

時系列的な意味では横井軍平さんが交通事故で亡くなった1997年直前に出版されたらしいので、1996年辺りにまでの作品にまつわる内容が多い。

前置きを少し挟んでしまったが、個人的に記憶に残ったのは3つである。

1. アイデアは制約下でこそ尖る

例えば、この「ラブテスター」っていう、自分と気になる人が両端の鉄球部分を握るとお互いの相性が数字に表れるという玩具。

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これは横井さんの任天堂での3つ目のヒット作になったが、見て分かる通り、元々はただの電流計である。

「電流計を使って〇〇」といった具合に発想をしたか、「好きな人と手を繋ぐためには〇〇」といった具合かは定かではないが、既に枯れた技術であった電流計を使って、異性との接点を作る発想が非常に面白い。

また当時の日本の物価の高さ的に、最新の技術を使った商品は庶民が手を出せる金額ではなかったとのこと。
このラブテスターは1969年の発売当時は¥1,800で、販売価格を安めに設定できたのが、既に一般に流通していた電流計の技術を応用したからであったらしい。

仕組みとしても、気になる異性と手を繋ぐ時の方が汗をかきやすいので、電流が流れやすく、愛情度も高く出やすくなると面白い。

そして、「キスをするともっと水分量が増えて愛情度が高まる」と公式パンフレットにも書いてあり、仕事中に外出中の上司から「キスをしても振れ幅は変わらないじゃないか」といった電話を貰ったというエピソードも当時流行っていた雰囲気を感じさせる。

ここまでで既に気付いたかもしれないが、横井さんはゲームのハードもソフトも作ったが、入社当時はこういう玩具を沢山作っていたので、その開発秘話が本の半分ぐらいを占めている。

2. お客さまが何を「求めていないか」。「すごい商品」は求めていない。

「あれもできる。これもできる」という状態は一見良さそうで、作りてのエゴだよね、と個人的に解釈したが、「なぜA or Bで、Aなのか」をプロデューサーとして技術メンバーに伝えないと、技術先行で求めていないものをついつい付けてしまう。

ゲームボーイが発売された当時も、「映像はカラーとモノクロのどちらがいいか」と話して、モノクロを選んだ横井さん。

その理由は主に下記の2つだったと言われている。

- 当時はカラーで作る方が製造コストが高い

- 電池の寿命が短い

特に後者が重要な要因であり、ゲームボーイは位置づけとしてはゲーム&ウォッチのマルチソフト版であり、ファミコンが少しずつ市民権を得た頃に世に送り出された。

つまり、体験としては外で利用するゲームであったので、プレイ時間は連続10~12時間ぐらいは持たないと、途中で落ちてしまうことになってしまう。

そこまで先のお客さまの体験を考えながら、開発初期に意思決定をして、リリース直後もカラー版にして欲しいというお客さまの声を多数受けながらもモノクロのままだったのは、本質的にはカラー版よりも外で長くプレイし続けられる体験をお客さまが求めていたという横井さんの考え方であった。

※ちなみにゲームボーイをリリースした後に、セガがゲームギアという類似ハードをカラー版でリリースしたが、横井さんの読み通り、連続プレイ時間が1.5時間しか続かなく、イマイチ流行らなかったという話も面白い。

3. 常に物事の根本原理を理解することに努める。

横井さんは技術者ではない。

だけど、これだけ世の中の人が使いたいと思う商品を生涯で数十個も世に出せたのは、ここだと思う。

「何が求められて、求められていないのか」「どうしてみんなこれを欲しがるのか」ということが大事と視点が何度も復唱されている気がする。

流行るものはほとんど廃れるが、廃れないものは根がしっかりお客さまの欲求に刺さっている。そういうものを見つけるのは自分自身で色々試してみないと見えてこないから、色々チャレンジすること。

横井さんが現在も生きていたら、どんなゲームで楽しませてくれるのか楽しみである。

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