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世界を目指して「パラ陸上」への挑戦

2021年が始まり、新たな挑戦を始めようとする人や今年一年の目標を考える人も多いかと思う。

僕自身も今年は社会人となり新たな生活が始まるとともにパラの道へと本格的に挑んでいく。それを踏まえてパラ陸上へ転向することに対しての僕の感情やそこに至るまでの経緯を書こうと思う。


僕は、陸上競技を始めて今年で13年目になる。

始めたきっかけは小学生のころに親に言われたことが始まりである。

正直なことを言えば、野球かサッカーがやりたかった。その時の自分にはその二つの選択肢しか持ち合わせていなかった。

しかし、無理にやらされたわけではない。

僕は小学校高学年の頃から
視覚にハンデがある。

日常生活はおくれはするが、黒板の文字は学校の席の一番前からでもほとんど見えたことはない。
そんな感じだったからこそ野球やサッカーをするのは難しく、あまり視覚を必要としない陸上競技ならできるのではないかという判断である。

そこから、陸上競技を始めた。

身体能力・運動神経にはそこそこ恵まれていたので、小学生の頃はクラブチームの中でリレーメンバーに選ばれたり、中学に上がり棒高跳びを始め、近畿3位までなることができた。高校ではインターハイや国体にも出場することはできたが、入賞にはもう少し届かないくらいだった。

そのあたりから僕の中に一つの大きな目標が生まれていた。

オリンピックである。

中学生のとき、テレビでオリンピックを見て漠然と出たいなと思っていた。高校でオリンピアンや現在日本のトップでオリンピックを目指している選手と関われる機会が何度かあった。そういった人たちを見たときにその言葉や行動はもちろん、醸し出している雰囲気に対し僕はかっこいいと思った。そして、こんな人たちと同じ舞台に立ちたいと思った。そこから、漠然だった思いが、自分なのかで形ある目標と変わっていった。


しかし、

やはり現実はそう簡単ではなかった。

手を抜いたことはない
本気で目指し
本気で考え
自分の時間を注ぎ込んだ

それでも一人の少し運動ができるだけで人類最高峰のスポーツの祭典に出たいという途方もない夢を跳ね返すのに現実は余りあるほどに大きすぎた

結局、大学4年間で分かったことは僕がオリンピックに出るには時間が足りなすぎるということである


大学4年になり、来年から社会人ということで大好きな陸上競技とも競技としては離れざるを得ないなと考えていました。

そんな中、就職活動を続けるある日、母と話していてパラの世界があるということにふと気づいた。しかし、僕自身パラという選択肢を考えもしたことがなく、一度、先輩から勧められたことがあるが、健常者のほうでできるからいいやと思い、それすらも忘れていたくらいである。

そな話の延長戦で、パラ陸上の僕の入るであろうクラスの記録を調べてみた。すると、僕の現時点の記録ですら、日本記録を超えている種目が何種目もあった、そればかりか、パラリンピックの上位入賞を狙えるような種目もあった。

そんなはずがないと色々調べてみたが、どうやら事実だった。

パラというのはまだまだ競技人口も少なくレベルがあまり高くないのが現実で、日本はそれが顕著な気がした。

それを知ったとき、僕の心の中はワクワクの感情であふれた

長年、目標にして自分を信じて追いかけて、それでも届かないとあきらめたオリンピックに少し舞台は違えど届くかもしれないと思ったからである。

同時にもっと早く始めていれば、早く気づいていればとも考えたが、健常者と同じ舞台で自分を高めるために使った時間があるからこそ現日本記録を何種目も超えていたり、世界を狙えるような記録に近づけたのだと考えている。

過程と結果どちらを大事にするかは人それぞれあるだろうが僕は過程を大事にしたい。しっかりと積み上げることで結果は後からついてくる副産物である。僕の好きな言葉の一つに「結果より過程が大事、結果だけならじゃんけんでいい」という言葉がある。まさにそうだと感じた。

僕にはパラの道があると知り、僕はその世界に挑戦することを決めた。

その世界に進むことが僕が思うより大変な道なんだと思う

それでも、僕は昔から
「自分ならできる」と思ってしまうし
それができないということすらも知りたいと考え
まずやってみることを大事にしている

それに、自分の目標であったオリンピックに
ほんの少しでも
出ることができる可能性があるのなら

僕は何をおいても
「やります、やらしてください」
というだろう


長くなってしまったが、最後に僕がオリンピックを目指し得た理由を書いておく

まず、大きなものは
かっこいいからである

これは僕の中にたびたび現れる行動に理由であり、シンプルであり本質だと考えている。自分の大好きなスポーツを同じように大好きな世界中の人種も国籍も宗教も超えてだれが一番かを決める大運動会、そんなかっこよくて楽しそうなものに僕も混ざりたいと考えたからだ。

もう一つは、影響力のある人間になりたいからだ。改めて言うが僕は視覚障がい者である。僕自身このハンデをハンデだと周りから劣っていると考えたことはないができないことがあるのは事実で、正気を保てないほどに耐えられなかったことも経験している。そんな僕が活躍している姿を見せることで同じハンデを持つ人や何か悩みがある人、それ以外のすべての人に対しても「僕にも、私でもできるかもしれない」と勇気や希望を受け取ってもらえるかもしれないと考え、そんな人間になりたいと考えている。そのためには色々な方法があるだろうが僕はオリンピックに出場することだと考えている。

これが僕のパラへの転向についてである。


僕のパラへの挑戦は
まだ始まったばかりで
これから様々な壁にぶつかると思う。

しかし、

僕はできると考えている。

根拠のない自信ではあるが
それが僕の武器だと自負している。





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