すきだらけ

「隙がなさすぎて難しいよ」と君は言った。そういえば自分に隙があるかどうかなど考えたことがなかった。部屋の埃ひとつも落ちてないじゃん。部屋が汚かったらそこをいじってやろうと思ったのに、それすらできないと君は言った。

春を迎えたため、思い切って爪の上にピンクを乗せてみた。これは誰かに見せるためではなく、自分が憂鬱な春を乗り越えるためのおまじない。季節の変わり目はいつだって憂鬱が付き纏う。せめて気分が上がるようにしたいと思って、爪の上に色を乗せ始めた。家は生活空間というよりは、寝る場所に近い感覚を持っている。仕事が終わって、ご飯を食べて、シャワーを浴びた後にストレッチをしてから眠りにつく。1週間のうち5回もこのような生活なのだから、寝る空間だと思ってしまうのも無理はない、部屋の掃除はルンバがやってくれるし、かといって埃が全く落ちていないというわけではない。彼にとっての綺麗の感覚と私の感覚が違うだけだ。

人間は生まれ育った環境のせいか、考え方や振る舞いなどそれぞれにそれぞれの基準がある。自分にはないからと拒絶するのは、簡単だけれど、相手に歩み寄るのは難しい。かなりの時間がかかってしまうし、人生は有限のため、どうでもいい人に歩み寄るのはもはや時間の無駄である。なんて言いながら君とどっちつかずの関係を続けている私は一体どのような気持ちでいるのだろうか。ずっとうやむやにしてきた自分の気持ち。体は満たされているし、これ以上の関係を望むのは贅沢かもしれない。それに怖い。まだ見せていない顔を見せて、嫌われてしまうことが。もしもとかたらればばかりが脳内にこびりつき、私は異性に隙を見せるのを極端に怖がっている。

見せたくないわけではない。嫌われたくないという拒絶の思いがそうさせているのだ。そういえば君には言葉で自分の気持ちを伝えたことがないし、言わなくても伝わっているだろうと勝手に思っている。そういえばピンクは「甘え」という意味を持つらしい。いかにも私みたいな色だ。相手の優しさにずっと甘えていたい。それがダメだったとしても、抜け出せないのがダメなところである。そのほかには「無邪気さ」という意味を持つ。駆け引きばかりを覚えた私とはその言葉とはかけ離れている。かつてあった無邪気を取り戻したい。そういった願望があるのだとしたら、またしても私にぴったりな色だ。

部屋の窓から桜が見えることが、春のささやかな楽しみだ。連日雨が降っているため、少しずつ花が少なくなっているのだけれど、飽きられる前に自分から散ってしまう桜のように私だってなりたいと思う。でも、自分に甘えがあるから隙を見せることはおろか現状を見つめ直す勇気すらない。隙がなさすぎて難しいよと君は言った。私が隙を見せていると思っていても、君からすればそれは隙ではなかったらしい。つくづく人間は難しい。それぞれに基準があって、私が君の基準を満たせなかった。もう半年以上一緒に過ごしているのに、何も進展がないのは私のせいかもしれない。

「春は湿っぽくなるじゃん」と君は言った。そうだ、だから私は自分を守るために爪の上に色を乗せている。寂しいという感情が芽生えたのは、一人ではないと誰かに思い知らされたためだ。現に君が私を一人にさせてくれない。最初から一人きりだったら、寂しいという感情は芽生えなかったかもしれないけれど、この感情があるから誰かと繋がりたいという欲求が芽生えてくる。「でも、重たいコートから解き放たれて、どんどん軽装になっていくじゃん。あれってきっと別れじゃなくて、身軽になった体でどこかへ行ってもいいよってことだと思うの」と私は返した。

「え?でも、俺ら今服着てないじゃん」と君が言った。確かに。笑える。どこへでもいける翼があっても、それを使いこなせるかどうかはその人次第なのである。現に互いの関係が進展していないのがその証拠だ。「てか、裸で隙がないって何なのさ。意味わかんない。これ以上何を見せろっていうのだ。ベッドの下に落ちていた髪を拾い上げて、ゴミ箱へと投げ捨てたが、放り投げたものは勢いがなく、すぐに下に落ちた。

部屋の窓から見える桜が今年も綺麗だ。例年どおり桜は咲いては散ってを繰り返す。そして、私たちも出会って別れてを繰り返す。窓際で桜を見ていると、「わかった。じゃあ隙を見つけるのはもう諦めるから、せめて好きぐらい見せてよ」と君は言った。え、ちょっと待って。何それ?告白?ダサっ。本当に笑える。ひとひらの桜が部屋の中に舞い降りて落ちた。

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