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28歳になりました。

ありがたいことに6月16日に28回目のお誕生日を迎えました。

0時ちょうどにお祝いしてもらったり、Twitterやインスタなど様々な人がお祝いしてくれたので、ありがたい気持ちでいっぱい。

「もう28年も生きているのか」という感動と「生まれてからもう28年もたったのか」という驚きが行ったり来たりしている。

今日が誕生日なんだけど、生活に変わりはないし、誕生日だからと言って何か特別なことをするわけでもない。今日も相変わらず原稿の締め切りに追われているし、去年からなんの進歩もしていない。

普段通り日常が過ぎていく。そして、その日常の中に誕生日があるだけ。

でも節目は何かを振り返るのには丁度良くて、何かを決め直すことにはもってこいなんだよね。

ということで今日は27歳の振り返りと28歳の抱負的なやつを書いていくね。

2019年9月24日、人生の転落、絶望、淡い希望

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2019年9月17日。1日3時間睡眠、休日なしで2ヶ月ほど働き続け、職場で意識を失った。ただの過労だと思っていたから、睡眠やサプリを摂って、それでなんとかなると思っていたあの頃。

2019年9月24日。目の調子がなんだかおかしい。視界にもやがかかり、前が見えない。仕事だから外に出ないといけない。でも何も見えないからどうやって行こうか。タクシーを拾うのはお金がもったいないから、歩いて職場に行くことになった。

普段なら自転車で10分で着く距離。でも今日ばっかりはその道のりが果てしなく思えた。前が見えないからまっすぐ歩けているのかもわからない。不安と焦り、そして、みんなに迷惑を掛けていて申し訳ないという気持ちでいっぱいだった。

外の壁を伝いながら1時間も掛けて職場へと足を運ぶ。仕事中も何も見えないから戦力にすらならない。そして、休憩時間になり、近くの病院に診察に行くことになった。

すると医師のおばちゃんにかなり怒られ、大きな病院への招待状を書いてもらうことに。「その日のうちに行きなさい」とその場でこちらの予定もおかまいなしで診察の予約を取り、病院を出たその足で、大きな病院に足を運んだ。

すぐさま全身のレントゲンを撮ったり、検査をした。かなり深刻な顔をしながら。医師が僕に向かってこう話した。

「あなたの病気はベーチェット病です。」

「ん?ベーチェット病ってなに?」

聞いたこともない病名に戸惑いを隠せなかった。そのあたふた様子は医師にも伝わっており、「落ち着いてください」と一言だけ添えられた。

医師が僕に病気について話し、少しずつ自分が難病にかかったことを理解した。

まさか自分が難病になるだなんて誰が想像できるのだろうか?

難病はドラマの世界の話で、現実世界には無関係な話だと思っていたから、まさか自分が難病になるなんて微塵も思っていなかった。

 「なぜ頑張り続けた結果が、難病なんだろう」

悔やみに悔やめなくなって、頭が真っ白になる。

目が見えないから仕事や家事、何もかもができない。何もできない自分に価値なんてないよ。

一体なんのために生きているんだろうか?

1人じゃ何もできない自分の不甲斐なさに訳が分からなくなり、枕を濡らす日々。夜になると涙が止まらなくなる。自分が自分ではないような気がして、毎日涙を流していた。

僕が難病になったことを知り、いろんな人が声を掛けてくれた。生活費を助けてくれた人やご飯に連れて行ってくれた人もたくさんいた。

色んな人に支えられて生きているという実感。あの時は本当に色んな人に助けてもらいました。いくら感謝しても足りないぐらい親切にしてもらった。

辛いことが起きてしまったのはもう取り返せないけど、人の温かさに触れることができたのは紛れもなく僕の宝物。

今も難病の療養は続いていて、「いつ目が見えなくなるかわからない」という恐怖と常に戦っている。

もし目が見えなくなったらどうなるんだろうね。多分一回ぐらいは死にたくなるんだろうね笑 それでも生きていくしかないからいつかどこかで受け入れられるのかな。まあ大丈夫だろうと楽観的な自分もいるからなんとかなるでしょう。

難病になったけど、今こうして笑うことができているのはみんなのおかげ。 してもらった親切を誰かに返せるように日々を生きていかなくちゃね。

毎日更新を1年継続しました

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27歳のふたつの目の大きな出来事は毎日更新を1年継続したことかな。

1年前に1年後の自分宛に手紙を書いて、それを1年後に公開するってやつがやりたいがために始めた毎日更新。

毎日更新をしている人はほとんどいないと思ってたんだけど、実は毎日更新をしている人たちがたくさんいるということも知った。自分はまだ1年しか継続していないから、猛者たちと比べるとまだまだ新参者。

でも365日継続して続けたことは称賛に値することだし、自分との戦いだから誰かと比べる必要もない。比べることで、続けられなくなるなら、自分の世界に浸って、とことんまで自惚れて続けられた方が絶対に良いよね。

調子に乗るのは論外だけど、続けるために自分を称賛するだけなら悪かない。

毎日更新は自分のストレスの捌け口にもなっている。自分の気持ちを文章化することで気持ちの整理もできているし、過去の出来事を見直すこともできているから、過去の出来事を形として残しておくのは面白い。

今後も毎日更新を続けるわけなんだけど、目標も目的も一切ない。続けたいから続けるだけで、そこには動機は必要ないからね。

28歳になった。さて、どんな1年にする?

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28歳はどんな1年にしようか。

本当は今年の5月から全国を旅して回る予定でしたが、コロナの影響でなくなってしまった。好きな人ともお別れしてしまって、自分時間が増えたから、その中で自分が今後どうしていきたいかを真剣に考えた。

今も文章を極めていきたいという気持ちは変わらない。だからいろんなところで文章を書いていきたいし、雑誌でコラムを書いたりもしたい。だから今はひとまず仕事で結果を出せるよう注力する。

仕事に全力を捧げて、文章といえば「サトウリョウタ」と言わせられるぐらいには成長したい。そのために今頂いているお仕事も全力で頑張るし、いろんな人からお仕事を任せてもらえるように動いていく。

最近は仕事が楽しくて仕方がない。納期に追われすぎて眠れない時もあるし、大変なこともたくさんあるけど、それも含めて「生きている」って感じでとても楽しい。

僕は文章に出会えて良かった。そして、文章を仕事にすることができて本当に幸せだ。だから今後も誰かのためになるような文章を書いていく。

仕事に全身全霊を注ぎながらも、健康にも気を遣わなくてはならないね。無茶をすると体が壊れてしまう。去年と同じ鉄は二度ど踏まない。何事もほどほどに、でも頑張らなきゃいけない時は精一杯頑張ろう。

27歳はフリーランスになったことを後悔してしまった年でもあるから28歳はフリーランスになって良かったと思える1年にしていこう。

生きることは楽しく、難しく、山あり谷ありなものである。

僕は1人で生きているわけではないから、今までの出来事を全部乗り越えることができた。

もしも1人で生きていたならば、嬉しいことも悲しいことも全部1人で背負うしかないし、誰にも共有することなく生きていかなければならない。

でも僕は1人で生きているわけではないから起こった出来事を誰かに共有することができる。1人ではないから喜びは倍増するし、悲しみは少しばかりましになる。そんなありがたいことに改めて気づいたのは、難病を経験したからだ。

友達の幸せを喜ぶこともあれば、自分の幸せを誰かが喜んでくれることもある。言いたいことを言えなくてモヤモヤしてしまう時もあるし、悔しくて泣いてしまう時もある。

良いことばかりではないけど、悲しいことばかりでもない人生。もしも1人で生きていくしかないのならば、僕はとっくに生きることを諦めていただろう。

でも僕の周りには素敵な人たちがたくさんいるから、これから先も生きていきたい。

誰かによって生かされている人生。決して驕らず偉ぶらず謙虚に生きていこう。

P.S. 誕生日プレゼント兼note1年毎日更新記念にAirPodsProを購入したのですが、3日でケースを無くすという失態を犯してしまったので、泣いています。

ありがとうございます٩( 'ω' )و活動資金に充てさせて頂きます!あなたに良いことがありますように!