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人生で大切なことをネパール人の友人から教わった話

僕が以前働いていたお店に、ある日、日本語がまったく話せないネパール人の男性がやってきた。つたない日本語で「おはようございます」と挨拶をされたから、「〜さん、初めまして、佐藤です。わからないことがあったらなんでも聞いてくださいね」と伝えると笑顔で、「ありがとうございます」と返ってきた。

日本語が話せないのに、異国から日本にやってくる勇気。そして、生活費を稼ぐために仕事をする勇気。異国の地に行くだけでも勇気を要するのに、仕事をするなんて途轍もない勇気と行動力だなと尊敬の眼差しで彼を見ていた。生活費がなければ生活ができないのは当たり前なんだけど、それでも勇気を振り絞って行動に移したことは、手放しで賞賛されるべきだなと強く思った。

言葉が通じないから、体を使って、ジェスチャーで仕事を教える毎日。日本語が読めないため、同じことをなんども繰り返し、少しずつ仕事の容量を掴んでいく。言葉が通じない、同じミスをするが何回も重なって、ネパール人の友人はいつも重鎮の方に、怒られてばかりいた。

その姿があまりにも不憫に思えて、友人をいつもなだめるのが僕の日課だった。「日本に来て嫌な思いをしてネパールに帰られるのは嫌だな」と思って、仕事が終わってから、いつも2時間ほど一緒に日本語の勉強をしていた。

友人も意味のわからない日本語を知るたびに、僕に聞いてくれるようになった。そのたびに意味を教えるんだけど、新しい単語が出てくるからまたその意味を教えるという無限ループに陥入る始末。友人はわけがわからなくなったのか「日本語めっちゃ難しい!もう無理!」といつも嘆いていた。彼の話す言葉のところどころで関西弁が入るのが、とても面白かった。

日本語が公用語の僕からすれば、日本語の難しさはわからない。でも彼らからすれば、英語を習得するよりも、日本語を習得する方が難しいらしい。だから、日本語がわかるのに、英語が話せない日本人を不思議に思っていたらしい。

ある日、重鎮の方が、友人を感情任せに怒鳴りつけているのを目にした。一体、何があったんだろうか。状況を知るために、重鎮の方にまず話を聞くと、どうやら彼が同じミスをなんども犯してしまっていたらしい。日本語が伝わらないもどかしさ、そして、イライラが募りに募って爆発したみたいだ。

自分の方が立場が上だったから、重鎮の方に注意しようと思えばいくらでもできた。でも相手に歩み寄ろうとしなければ、相手も歩み寄ってくれないことを僕は知っていた。怒りに対して、怒りで返すのではなく、状況をきちんと理解してもらうことが先決。

だから僕は重鎮の方ともきちんと話をした。日本語があまりわからないこと。早口で話すと、萎縮してしまうこと。わからないなりに、彼が必死で仕事を覚えようとしていること。日本が嫌いになってしまう可能性があること。話をしていくうちに、少しずつ理解してくれたのか。彼らのわだかまりも少しずつなくなり、今ではスムーズに仕事ができている。

新しい日本語を覚えるたびに、嬉しそうに僕に報告をしてくる友人。学校に必要な漢字は覚えず、くだらない下ネタばかり覚えてくる。そして、覚えたての下ネタをいつも僕に披露しては、笑かそうとしていた。「ちゃんと勉強しなよ」って言ったら、「日本人は本当に感心するぐらい真面目すぎる。佐藤さんは特に真面目だから、たまにはユーモアも必要だよ」と返ってきた。

その言葉にハッとする自分がいた。彼は彼なりに僕のことを励ましてくれていたんだなと、真面目すぎる自分を反省した。「どんな時もユーモアを忘れてはいけない」と僕は友人から学んだ。

「日本で学んだことを持ち帰って、いつかネパールで役立てたい」といつも話していた友人。いつの間にか僕らは仕事場の関係性を超えて、友人になっていた。言葉が伝わらなくても、少しずつ歩み寄れば、国境なんて関係ない。僕らはプライベートでも食事をしたり、遊びに行ったりする仲になっていた。

友人からネパールの話、将来の夢や家族構成、宗教の話などたくさんの話をしてもらった。ネパールの話をするときの友人は、いつも笑顔で、自分の国が好きな気持ちが伝わってくる。僕も知らない土地のことを知るのが好きだったから、彼の話を聞くのが大好きだった。

「佐藤さんのおかげで日本が好きになった。だからいつの日か佐藤さんを僕の家族に紹介したいし、僕の友人にも素敵な日本人と友達になったと紹介させてよ」

いつかは忘れたけど、ネパール人の友人に嬉しい言葉をもらった。自分の思いがちゃんと届いていたんだなと、つい胸が熱くなる。見返りを求めたわけではなく、ただ彼に日本に来て良かったと思ってもらいたかっただけだ。そして、自分を好きになってくれたことよりも、日本を好きになってもらえたことが何よりも嬉しい。

本当は今年の7月に、彼の住むネパールに一緒に行く予定だった。ネパール料理を食べたり、観光地などを巡る旅。そして、友人の大切な人たちとの時間を過ごす計画。パスポートも取って、ネパールに行く準備は万端。でもコロナが発生してしまったから、楽しみにしていたネパールへの旅は延期になった。

ネパールに僕を連れて行くことを楽しみにしていた友人は、肩を落として、へこんでいた。「ああ、自分のためにこんなにへこんでくれる人がいるんだな」と嬉しい気持ちになった。

でも僕は彼とネパールに行くことなく、仕事をやめることになった。

「仕事をやめても僕と佐藤さんはずっと友達だよ。日本に来て佐藤さんに会えて本当に良かった。だからコロナが落ち着いたら絶対ネパールに来ること。いいね?」

彼が僕が仕事を辞めるときに彼からもらった言葉。つい目頭が熱くなったけど、彼の前では涙を流さないと強がってしまった。

いつか友人の住むネパールに行けたら良いな。彼の家族や友人にも会いたいし、彼が生まれ育った故郷をこの目で見てみたい。

この先の予定はまだ未定だけど、異国から来た友人はいつか僕をネパールに連れて行くと言ってくれている。そして、僕が異国ネパールに足を踏みいえれる日はきっとやってくるはずだ。

彼が生まれ育った国、ネパールに足を踏み入れる日を、僕は心から楽しみにしている。

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