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川の水は毎日同じか - 変化やニューノーマルについて『方丈記』から考えてみる

先日あるIT企業の社長の方とお話をしていた時に、こんな話がありました。

「日本人は外的な要因があって初めて変わった歴史があるような気がする。ペリーの黒船や、震災のような自然がきっかけにもなるかもしれない。」

深く考えさせられました。

VUCA時代、ニューノーマル、With/Afterコロナという変化の時代と言われる中で、過去の日本人はこれまで変化に対して何を考えてきて、どう捉えてきたのかということが気になりました。

そして川の水の話を思い出しました。鴨長明の『方丈記』の冒頭の部分です。調べてみると、1212年の鎌倉時代に書かれた日本中世文学の代表的な随筆で、『枕草子』『徒然草』と並んで、日本三大随筆とされているそうです。こちらを参照させていただきました。

ゆく河の流れは絶えずして、しかももと水にあらず。よどみに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。
現代語訳:
流れ過ぎていく河の流れは途絶えることがなく、それでいて(そこを流れる水は)もとの水ではない。(河の流れの)よどみに浮かんでいる水の泡は、一方では(形が)消え(てなくなり)一方では(形が)できたりして、長い間(そのままの状態で)とどまっている例はない。この世に生きている人と(その人たちが)住む場所とは、またこの(流れと泡の)ようである。

川の水の流れは耐えることなく続いているように見えるけれども、よく見ればそれは決して同じ水ではなくて、移り変わっている。一見恒常的で不変に見える川の姿に世の中の「無常」「転変」が見える。人も移り変わりの無常であることも、川の流れと同じのようだと言っています。

はじめにこの言葉に出会った時は、「水は水じゃないか」と思いましたが、同じように見える川の水も、常に違う水だということを少しずつ理解できたような気がしています。

800年前の人が考えていたことも、2020年の今でも強いインパクトがあるなと改めて思います。自然はそもそも常に変化するものだと考える必要性を感じます。変わらない事を願っていたり、同じであり続けたいと願うのは、「無事 (事が無い)」ことを良しとする、マインドの方の慣性の法則のようなものかもしれないな、と考えているところです。

今の大きな変化の時代を経て、進化できるかを問われているような気がしています。いつかこの変化のおかげで進化できたと思える日が来ると良いなと思っています。

今日も最後まで読んでいただいてありがとうございました。
※昨日は以下書かせていただきましたので、よろしければどうぞ。

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