「鬼滅の刃・無限列車編」を観て

炎柱の煉獄さんが活躍する編だ。


指令を受けた炭治郎らの三人は、多くの乗客や剣士が行方不明になっている無限列車に乗り込み、鬼滅隊の柱の一人である煉獄さんと合流する。

彼らは下弦の鬼の術にかかり、幸せな夢の中に閉じ込められる。

炭治郎は、鬼に殺された家族と、以前のように幸せに暮らしていく夢を見て、センイツは、恋している禰豆子と二人で楽しく過ごす夢を見る。イノスケは、自分がボスの立場にあって、仲間と冒険に出る夢を見る。

この術の目的は、彼らが夢を見て、うつつを抜かしている間に、彼らの無意識領域にある精神の核を破壊することにあった。


この「精神の核」という言葉に反応した。というのも、最近よく「人間存在の核心とは何か」というテーマについて想いを巡らせるからだ。

それは、この物語の中では、個人の「幸せな夢」の中にあるらしい。「好きな人と、楽しく過ごす夢」、それこそが、その人間の精神の核である、というふうに理解した。

その夢を利用し、その核心を破壊しようとするのだから、この鬼の手段はかなりえげつないものだと思った。


煉獄さんというのは、強くて優しい男だった。悲しみや不安は人に見せずに、いつも冷静に的確に状況判断を下せる。それでいて、自分の力を使ってみんなを守るのだという情熱を秘めているように見える、彼の姿はまさにHEROだと思った。

彼は最後鬼にやられた胸の穴が致命傷になり、死期を悟る。そして、炭治郎達を呼び寄せ、弟と父への遺言、そして、炭治郎達の可能性を信じ、励ましの言葉を伝える。

人の本当のことは、去り際や死に際に現れるという。彼はきっと自分の力を、家族や仲間のために使うことを考え続け、そして動き続けてきたのだろう、と感じて胸を打たれた。


タイトル通り、鬼を滅ぼすために刀をとって戦いつづける物語だ。

現実世界において、戦う、戦い続ける必要や意味というのはあるのだろうか、という疑念が、時々頭をよぎることがある。

心を燃やせ、というような煉獄さんの遺言もあったが、何もそうまでしなくても、今ないものを諦め、今目の前にあるものを大事にして、楽しむことができれば、そして、それに満足できる心持ちさえあれば、何もしんどい思いをしたり、他人を傷つけてまで戦い続ける必要はないのじゃないかと思えてしまうのだ。

その答えは今ここでは出すつもりはないが、ただ、仲間ともに、仲間を想い、心を燃やして真剣に戦い続ける彼らの姿は、カッコよく見えたし、そんな人生はいいものに思えた。それは、自分の経験を振り返っても思う。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?