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「知床」で、つくりたい旅を作ったら、毎日誰かが涙した旅になった話。

昨年から「旅」づくりに挑戦している。
商品ではなく、作品としての旅。

その土地の、その瞬間に存在していた気温と、湿度と、風の強さと、雲の量と、そしてそこに偶然集まった参加者が持つエネルギーがかけ合わさり、想像もしない偶発的な出来事が起こっていく。いろんな"つまみ"があって、ピタッとそのつまみが揃った瞬間に生まれるグルーヴ感。ナイトクラブで感じる、アノ感じを、旅に持ちこむ挑戦を続けている。

斜里町の名所「天国へ続道」28キロ続く一直線の場所で。

もちろん、無人島に行って野宿をしたり、電波も入らないような人里離れた秘境に向かったりすれば、特別な旅体験を生み出すことは、ある種簡単な気もする。ただ僕自身が、ちょっとそういうハードコアにはまだまだ抵抗がある。だって僕は、デジタルノマド。きちんとパソコンで仕事ができないと、旅ができない。(だから「旅人」って言われるとなんか違和感がある)。何より快適な仕事環境がその土地にないと、僕は旅先に選べない。

ちょっと隙間を見つけて仕事ができるのが令和時代の旅のスタイルだ

そんな僕が、今回、知床を旅のステージに選んだのは、申し込みを受け付けたnoteに書いてあるので、よかったらこっちにも目を通してもらえると嬉しい。

旅人は、何を与えられるのか。

6月が1番遭遇率が高いと言われる「野生のシャチ」を見るツアーに参加。

ところで….
いつから旅人は、客人扱いされるようになったのか。
なぜ地域は、客人扱いするようになったのだろうか。

日本における「旅」の歴史は、昔から信仰と深く関わりがあったりする。狩猟民族から農耕民族に文化を移した我々にとって、移動行為が本質的には不要になっていき「移動」は信仰を通じた「学び」と「教え」の行為となっていった。弘法大師/空海は中国へ留学するために西日本へ向かい、八十八ケ所巡りの巡礼者たちは四国中を歩き回った。

修行僧達は、地域に住まう誰よりも知識を持ち、信仰を地域に伝え、もっと言えば信仰だけでなく、農耕技術や、インフラの整備方法、例えば橋の作り方も伝えていった。その土地にある花々の種子を別の土地へ届ける、蜂や蝶のように、旅人が、地域に豊かさを届ける。こうしてヒトは進化してきた。

羅臼町にあるフィリピン人女性が経営するカフェで食事

旅人は、何を地域に与えられるか。現代の、旅のスタイルでは、旅人が地域に教えられることは少ない。その代わり、地域に金銭というわかりやすい対価を払って訪れるようになり旅行業界は大きくなっていった。旅人はこの手っ取り早い与え方を覚え、広げてきた。「知恵」から「お金」へ代替された、地域と旅人の関係「それでよかった」時代は、風の時代を迎えた今、見直しを迫られていると、僕は思う。

クマに出会ったら、嬉しいのか。

ツアー最終日に、参加者の1人が「クマに遭遇した」とLINEが飛んだ。羅臼と斜里を結ぶ横断道路に2頭子連れのクマが道路を悠々自適に歩く姿が動画に残されていた。

これがツアー初日に起きていたら、僕たちは嬉々としてこの動画に食いつき、よもや「いいなぁ」「僕も見たいなぁ」と言っていたかもしれない。

ただ、その動画が届いた時の僕たちは冷静だった。1週間前から滞在していく中で、地域におけるクマにまつわるあらゆる感情を目の当たりにしていたからだ。

今回の旅を作る上で主たる企画が「クマ活」。決して熊と一緒に踊ろう、みたいな企画ではなく「クマに遭わないようにするための活動」がクマ活だった。

会えたら嬉しい、コグマかわいい。そんな人間の思いをよそに、クマは人を襲い、時に人の命を奪う。世界で最もクマが高密度に生息すると言われている知床の森に、人間は開発の手を伸ばし、木々を奪い、棲家を彼らの棲家を奪った歴史があることを知る。結果、人とクマが最も距離の近い街になっていて、富める者も、貧しきものも、偉いと言われてようが、言われて無かろうが、クマに遭遇したら圧倒的にそれらは無意味だ。2000年の人間の文明の進化を持ってしても、クマの前には敵わない。

ブレイクスルーカンパニーGO三浦崇宏くんも来てくれて、一緒に考える場を作った

旅の合間にトークイベントも開き、クマとヒトとの関係について、現場の本音を伺った。観光で訪れる目線と、住民としての目線、クマに対する評価は、それぞれ違う。住民としての目線もまた違ってもいる。

議論の中身は、ゆぴのツイッターがツリーで議事録になっているから、興味がある方は読んでみてほしいけれど、つまり、地域も悩んでいるし、困っている。我々、旅人は、その話を共有し、何を思い、何を語れるか。

観光の「光」だけではなく、暮らしが抱える「闇」を共有することで、僕たちは、さらに一歩、地域とつながるきっかけを持てるんだと思う。金銭授受のやり取りで終わらせない、旅が本来もたらすはずのGive-Giveの関係(Give/Takeではなく)を、取り戻す。

つながる余白をつくる、旅。

「カムイワッカの滝」水の神様が宿る場所だ。

Give-Giveの関係は、決して地域-参加者の2者ではなく、参加者同士の間でも起こりうる。これが旅先だといいのは、圧倒的自然に包まれることで、そこに性別、年齢、よもやこれまでその人が積み重ねてきたキャリアも、意味をなくすからだ。

雄大なオホーツク海に差し込む太陽の日差しは神々しく感じる

知床にはそれほど、自然が街を支配している。自然に住まわせてもらっているという感覚になる。大いなる大地にお邪魔しているヒトという生物として皆平等になる。ここに、僕が知床を旅先に選ぶ理由がある。「みんな敬語はやめようね〜」とかそういうルールなどは一切不要。ヒトとしての対話ができる場所。

最後の最後に、卓球で叫び切った

参加者は毎晩、朝まで語った。なぜあそこまで、なぜそんなにも語っていたのか。これは正直、準備側には予想外だった。ちょっとはみんなも疲れて寝るだろうと思っていた。そんなことはなかった。興奮気味に、毎晩、何かを語っていた。知床のこと、自分のこと、いろんな話を、した。

空き時間のある工程にしてあるので、参加者同士が有志を募って
知床五湖散策に出かけるのは運営側も嬉しいハプニングだった😌

気づけば、誰かが涙を流しながら話し始めた。それぞれが抱える思い、いつもの場所では言えないこと、どこかでみんなが共感できるような思いが、いっぱい詰まった涙だった。僕たち運営側は、日々睡眠時間を奪われていった。それくらい、激しい、体力の限界まで踊り続ける作品が、知床サス旅だった。だけど僕たちは、その涙が、めちゃくちゃ嬉しかった。

特に5泊6日フル参加、からの延泊まで決め込んだガールズたちのパワーがすごかった
(さて、誰が涙を流したでしょう)

結果、ツアーの中で、全員がいちばん体力と精神力とをすり減らし、そして旅のハイライトになっているのは、涙が生まれた夜の時間だったりするのかもしれない。特に事前にツアープランに入っているわけでもない、余白の時間。そこにいなくても金銭的な損をするわけではない。むしろ、財布よりも、体力と気力を奪われる場所だったと思う。

それでも、毎晩、みんな語り合った。何か飲みのゲームをするわけでもなく、ただただ、語り合った余白の時間。無理してそこに残っていたわけではなく、残りたくて、話したくて、話していた、あの時間。「寝てもよかった」あの時間、あの瞬間は、結果「とっても大切な」時間になっていた。

僕なりのウェルビーイング=余白をつくる旅にある

6月でも真っ白の雪景色がすぐそこにあるのが知床の末恐ろしさ

先日、知人のこんなツイートがバズった。

出典も探って真偽も確認。ハーバード大学の研究は本当だった。金でもない、健康でもない、出世したりSNSの評価でもない。幸せとは、誰かに頼り、頼られる存在であると自覚を持てることが1番だと。

誰かとつながること。心から、つながる相手といることが一番の幸せになるという結論は、75年もハーバードが研究する必要あったのか、疑問ではあるけれど、まぁ、自明の結論が、そこにはある。信頼できる、つながりに満たされているか。地域に行くと、人も限られていて、自分のことを心からつながりと感じられることも、そうたくさんあるものではないからね。

各地の地域おこし協力隊が交流する場にもなっていることも嬉しい

僕たちが、地域で頑張る仲間と、どこかで心のつながりになって、僕たちが届けられるgiveになれば、なんて願う。専門知識がなくてもいい。心からの信頼できるつながりができた、と地域に住まう人たちの1人でも思ってもらえたら、きっと旅は、幸せのシンボルになっていくはずだ。

旅が生み出す幸福論。
そんな旅を、これからも、プロデュースしていきたい。
今回の知床の旅に、関わってくれた皆さんに、心から、感謝。

Enjoy your life journey!


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