あの夏が、終わる。
え、昔の話が聞きたいって?
どうしたの、急に? 面白いエピソードなんか頂戴って……なんか雑過ぎじゃない? 大して面白い話なんてないよ。というか今まで長い付き合いだけど、そんなこと今まで一度も聞いてこなかったよね。過去なんて気にする奴は馬鹿だって、いつも言ってるのに。あっ、この間のスーパーで会ったあの人のことかな……いやあれは確かに昔の知り合いだけど、そういう関係じゃないんだよ。えっ、聞きたいのは、その話じゃないけど、それも忘れたわけじゃないって? あ、あはは……。
冗談だよ。ごめん。今日のことだよね。いや、うーん、言えないわけじゃないんだ。嫌な気持ちにさせたいわけでもなくて……。
あぁ、分かった! 言うよ、言います。だからそうやって何度もすねを蹴らないで!
もともと説明する気だったんだ。だけど、どう説明していいか分からなくて。
高校の時なんだけど、実はおれ野球部だったんだ。あっ今、鼻で笑ったでしょ。そんな態度されたら、もう言わな……分かったって、分かった。コレクション捨てるって、そんな怖いこと言わないでよ。ちゃんと言うから。まぁそりゃ確かに今はこんなお腹してるし、スポーツのスの字も、アウトドアのアの字もないような感じだけど、あの頃は一応野球少年って言っても差し支えなかったと思う。
うまかったか、って? どう思う? 実はちょっと生意気だけど、結構、うまかったんだ。中学時代は四番ショートで、高校も地元の強豪校にスポーツ推薦で入ったんだ。えっ、生意気だ、って? ……だからそう言ってるじゃないか。大丈夫。いや大丈夫って言うのも変な話なんだけど、驕れる者久しからずって言ってね。おれも例外じゃないよ。
初日の練習を見た時点で、あぁおれじゃ駄目だ、って思ったね。部員の数も膨大だし、地域でちょっと名の知れた、くらいじゃ簡単に弾かれてしまう世界だった。それでも努力すればなんとか、という次元ですらなかったよ。
辞めよう、ってすぐに思ったんだけど、でも結局、最後まで辞めれなかったんだよね。
野球が好きだから? 違う違う。もっと打算的な理由だったんだ。
甲子園に行けるかもしれない、ってね。もちろんレギュラーやベンチの選手って意味じゃないよ。たとえスタンドで応援する補欠選手だったとしても、あの甲子園の雰囲気を味わえるかもしれないってね。非生産的な想い出作りかもしれないけど、そのぐらいあの時のおれにとって、甲子園は魅力的だったんだ。まぁ、とはいえそんな理由だけできつい練習を三年間も耐えられるわけないから、部の雰囲気が良かったのと、やっぱり野球自体は好きだったんだろうね。まぁ上下関係は厳しかったけど……。
もちろん強豪校だからって、必ず甲子園に出られるっていう保証はないよ。実際おれが野球部に入った時は十年近く甲子園に出れてなかった。
でも確信があったんだ。あいつがいれば絶対に出られる、って……。
本名は……まぁとりあえずK君にしておこうか。
一年生の頃からピッチャーで試合に出てたんだけど、ストレートが本当に早くて、変化球は見たことないような曲がり方するし。あぁこういうひとがプロに行くんだなって嫉妬を通り越して、思わず憧れちゃったよ。顔も良いから女子生徒にも人気があったけど、そういうのを鼻に掛けたりもしないし性格もさっぱりしているから同性からも嫌われないタイプだったな。
あいつがいれば絶対に甲子園に出られる。当時の部員はみんな思ってたんじゃないかな。
二年生の時にはもうK君が自他ともに認めるエースだった。背番号は10番だったけど、当時1番を付けていた先輩が素直にエースって認めてたくらいだからね。
その年の夏の地区予選は決勝で、延長戦まで戦って、1対0。最後はK君のサヨナラ暴投。まぁ当然おれはスタンドで応援してて、わけも分からず涙が出た。負けたこと以上に、K君がうなだれる光景にこらえ切れなくなった。
来年こそは絶対に甲子園に行くぞー!
三年生が引退して、新体制になったチームの全員にこんな豊富を語っていたのは……K君じゃなくて、おれだった。
どうして補欠のおれがキャプテンになれたのか、自分でもよく分かってなかったんだけどね。後で監督に聞いた話だと、K君の推薦だったらしい。確かにおれとK君は仲良かったけど、そういう理由で推薦するような奴じゃなかったから、あいつの中でおれにキャプテンに向く何かがあると思ったんだろうな。
本人からその理由を聞きたかったんだけど、な……。
あれは三年生になってすぐの練習中だったよ。急にK君が倒れて、……うん、そのまま、死んだんだ。脳卒中って聞いたけど、詳しいことは何も知らない。理由なんてどうでも良かった。おれにとって大事なのは、あいつが生きているかどうか、それだけだった。
夏、最後の大会。ベンチ入り最後のメンバーは、まさかのおれだった。結果は一回戦敗退。代打のおれの情けないサードフライで試合終了。
こんなこと考えるのは、駄目だって分かってるんだけど、あいつがいたらどうなってたんだろうな、っていつも思っちゃうんだ。そしたらおれは応援席にいるはずなのに、そっちのほうが良いって、どうしても考えちゃうんだよなぁ。
あいつのいたはずの夏が、いつまでもおれの夏を終わらせてくれないんだ。
あいつが住んでいた地元に、毎年、墓参りに行くんだ。今でもあいつの命日にお墓で一緒になるクラスメートがいるんだけど、それがこの間、スーパーで会った女性だよ。高校時代はほとんど話したことなかったんだけど、恋人だったらしいんだ。あいつ、そういうのは隠すから。
そう、だからきみは変なことを心配しなくていい。
急にごめん。いきなり甲子園に行きたいなんて言われて、困ったよね。どうしても行きたかったんだ。詳しいこと何も言わないおれの無理なお願いに付き合ってくれてありがとう。何を言っても自分に都合の良い昔語りになっちゃいそうな気がして、うまく言えなかったんだ。だから聞いてくれて、ありがとう。
今日の試合に出てたピッチャーなんだけどね。
あいつの年齢の離れた弟なんだって。どうしてもその姿を生で見たくて……。そっくりだった。ユニフォームは違うけど、甲子園のマウンドにあいつが立っているようだった。試合は負けちゃったけど、試合中、ずっと投げている彼を、あいつに重ねてたんだ。彼にとっては、迷惑な話だろうけど……。
自己満足でしかないんだけど、あれを見て、ようやくおれの夏は終わったのかな、って気になった。あいつはあの世で勝手に終わらすな、って怒ってるかもしれないけど、何かを始めるために何かを終わらせる必要があったのかもしれない。うん……。本当に自分勝手だと思うし、わざわざきみに言うべき言葉でもないよね。結局、おれは過去を都合よく利用しているだけなんだと思う。
ごめんね。聞いてもらって。
ありがとう、聞いてくれて。
実は帰ったら、きみにもうひとつ伝えたいことがあるんだ。
えっ、ここで言え?
え、えぇ……か、帰るまで我慢してよ。
緊張で、手がこんなにも震えてるんだから。
(了)