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「教養のエチュード賞」のこと

 twitterに書くつもりが、すこし長くなり過ぎてしまったので、こちらに書かせていただきます。

 受賞作決定したとのこと。拍手(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ 受賞されたみなさんおめでとうございます! 私の好きな作品も入ってましたし、会話を交わしたことがある方もいて、とすこし不思議な感じでした。

 重ねて拍手(゚∀゚ノノ゙パチパチパチパチ(テンションが高いのを伝えたかったので顔文字を多めに!)。

 ……と同時に、これを見た時、すこし本屋大賞の冊子に書かれてある言葉を思い出しました(←あ、私、書店員なんです。知ってました 笑)。どういう言葉か、と言いますと、2018年版(何故か2019年版が見当たらない……)を引っ張り出してきたのですが、要約すると〈受賞作以外の作品どれもが、投票者にとっての「本屋大賞」なのだ〉という言葉です。数年前までは、実はこの言葉があまり好きではなく、しかし今はとても好きな言葉です。「だって他を圧倒するような優れた作品は存在するし」とか「やっぱり選ばれたいに決まってるよ」とか……ですね。なんとなくこの言葉に詭弁めいたものを感じていました。確かに優れたものは存在しますし、選ばれなくて何ひとつ悔しくない、という人はすくないと思います。その悔しいという感情は当然のものだとも思います。

 この本屋大賞の冊子には100冊を軽く超える作品のタイトルが並んでいます。しかしそれは別に淘汰された作品ではなく、〈誰か〉にとっては受賞作以上に魅力的な作品なんです。〈あなた〉の作品も、きっと〈私〉の作品も〈誰か〉にとっての教養エチュード賞なんです。……なんて言ったら詭弁に感じるでしょうか。さっきも言ったように他を圧倒する優れたものは確かに存在しますが、それと〈好き〉という感情は別のもので、優劣や巧拙をこえて〈誰か〉が好きと感じてくれることも、その圧倒的に優れたものと同じかそれ以上に尊いのではないか、と思う今日この頃です。

 さらに今回のこの賞の主旨は、新しい好きを探したい嶋津さんひとりによる個人的な賞、

記事が「選ばれる、選ばれない」は優劣ではありません。
僕の個人的な趣味や、理解力と偶然マッチした記事が選ばれているだけの話です。とても個人的な賞なのです。

 言うなれば、全受賞作すべて審査員特別賞であり、多分私がやればラインナップはそっくりそのまま入れ替わることでしょう(←これ自信ありますよ。だって応募作の7割近く読みましたから。ごめんなさい。全部読めなくて……泣)。まぁ私がやっても作品は集まらないでしょうが(笑) だから別に気にしなくても大丈夫……、

 …………、

 と言われても、やっぱり選ばれなかった方は、落ち込むでしょう……。悔しいでしょう……。私ももちろん悔しさがひとつも無いなんてことはありませんよ。ならそれを糧にしてやりましょうよ。喜びよりも、落ち込んだり悔しかったり、という感情のほうが絶対に糧になるに決まってる。でも引きずらないようにして、すぐに立ち上がって、大いなる飛躍を遂げてやりましょうよ。

 一緒に、ね(^-^)

 えっ、そんな偉そうに語ってるお前は誰かって、ふふふっ、私は今回の応募をきっかけに、11月、大いなる飛躍を遂げ↓(露骨な宣伝)

 そして今回の悔しさを糧に、さらなる飛躍を遂げる者だー!(書いてて、恥ずかしくなってきた 笑)

 みんなでこれから傑作を書くぞー! 第二回があるらしいから、さらに嶋津さんに嬉しい悲鳴を上げさせるぞー!

 ……と本当はもっと影響力のあるような人が言うべき言葉かもしれませんが、こんなよく分からない人が言うのも、それはそれでリアリティと説得力があるでしょー(笑)

 そして……、

 嶋津さん、選考お疲れ様です(^-^)

[追記]本当に嬉しかったです!