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『実人生』という名の、もっともつまらない物語

 私の文章はだらだらと長い、それは必然性のある長さではなく、とりとめもないから長い。だけどとりとめもない考えにぐるぐる頭を回し続けるのが好きだから、これはこれで好きなのだけど、たまには短く終わらせたい。特に先日、結構長めの小説まで投稿しちゃったので、

 と言っても、別に一番長い作品というわけではなく、私の作品の中では六番目くらい。家族、兄弟をテーマにしたミステリで、後書きに渾身の力作とまで書いてしまいましたが、今、「何かあなたのお薦めをひとつ教えて」(※現時点のベストという話ではありません)と言われたら、これを挙げるくらいには、渾身、です。

 というわけで、今回は短く短く。

 そう最近ふと思い出したことなのですが、ある有名なミステリ作家さんが昔、「私は〈事実は小説より奇なり〉という言葉が嫌い。作家の想像力はつねに現実を超えていけるし、超えて行かなければならない」的な発言をしていて、当時は思春期真っただ中くらいだった(?)サトウ青年(少年?)には、やけにその言葉が刺さった覚えがあります。記憶を頼りに書いていて、間違いがある、と問題なので、作家名は出しません。その言葉に強く共鳴したのを覚えています。つねに想像は現実を超えるものであって欲しい、という思いはいまだに強い。フィクションに価値がないのなら、そんな想像力を失った現実に価値はあるのだろうか、と躊躇わず言える人間になりたいとさえ思っている。

 でも例えばそれは、

 別に突飛な要素を作品に入れる、とか、ファンタジーやSF以外に小説としての存在価値が無い、とか。もちろんそんな暴論を投げ掛けたいわけじゃない。私が言いたいのは、〈事実にただ沿っただけのもの〉であっても、もちろん(本人がそうカテゴライズすれば)小説ではあるけれど、多分私が求める小説ではないのだ、と思う。……そもそも〈事実にただ沿っただけのもの〉を小説に求めるひとはすくないはずです。だから、描写を、思考を、ストーリーを、キャラクターを、磨くのでしょうから。

 私の苦手な言葉がもうひとつあります。「誰でも一冊は小説が書ける。それは自分の人生だ」というやつです。確かに生まれてから今までの自分の人生を文字にして書き起こしていけば、どんなに自分の人生に対する自己評価が低いひと(例えば私がそう)でも、小説一本分くらいの分量にはなるかもしれません。

 でも、

 仮に書けたとしても、自分の人生を大してアレンジもせずに、ただただ記憶のままに書いただけの小説って、「面白いか?」とは思ってしまいます(もし「面白い」と思うひとがいたら申し訳ない。それは多分小説が面白いのではなく、あなたの人生が魅力に満ちているのだと思います)。

「じゃあ私小説や自伝小説はどうなの?」と言うひともいるかもしれませんが、それらの優れたものは自分の人生を優れた〈小説〉へと昇華させているから、面白い、のだと私は思います。描写の妙や切り取った部分、忍ばせる虚構などなど。

「誰でも一冊は小説が書ける。それは自分の人生だ」

 それを間違った言葉だとは思わないけれど、私は敢えてこう言いたかったりします。

「誰でも一冊は小説が書ける。それは自分の人生だ。……だけど、私の書ける小説の中で、もっともつまらない物語は私の『実人生』だ」

 と。

 まぁとりあえず私が言いたいのは、

 上記の小説「彼らについて知っていること」は私の実人生の100倍くらいは面白いので、読んで~、という宣伝です。

 おぉ、今日は短めに、すっきりまとまった。