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反射について

今、この文章をバスの車内で書いている。僕の前に小太りのおじさんが座っているのだが、スマホでエロゲーをやっているのが、窓越しに反射して見えてしまった。

男として気持ちは分からないではないが、僕は反射が気になって仕方がない質なので、その大胆な行動が信じられない。(事実、今も最後部座席にすわりながら、反射しない角度に画面を向けて打ち込んでいる。)

反射はこのコロナ禍で更に頻繁に立ち現れることになった。僕の職場の座席には、飛沫防止のアクリル板が隣席の間に設置されている。前に女性事務員の方がおり、右隣の課長の席に設置されたアクリル板の反射でお互いの行動がうっすら見える。今までは前に聳え立つパソコンモニターで顔を横にズラすか、立ち上がらないと姿が見えなかった。

反射により、今忙しそうだなとか、今なら仕事のお手伝いをお願いできそうだなとか窺い知ることができるようになった。これは反射がもたらした便益である。

一方であちらが見えるということは、こちらもまた見えているということである。ニーチェの有名な言葉に「深淵を覗く時、深淵もまたこちらを覗いているのだ」というものがあるが、まさしく「反射を覗く時、こちらもまた反射しているのだ」状態である。

僕は大のデスクワーク嫌いなので、パソコンと向き合っているとすぐに疲れてしまう。パソコン仕事のフラストレーションを解放する為に手をぶらぶらさせたり、謎のストレッチをしたり、変顔をして表情筋をほぐしたり、脳内で好きな曲を流して指でリズムをとったりしている。

これまではパソコンモニターにより、それらの奇行はあまり明るみになっていなかったのだが、アクリル板の反射を通して、事務員さんの目に入る環境ができてしまった。

反射像はうっすらなので、どれだけ奇行が目に入っているかは分からないが、逆の立場なら気になるだろうレベルの動きをきっとしている。

今、前に座っているおじさんと同じような状態をオフィスでやってるのかもしれないと、ふと思った。

人の振り見て我が振り直せ。ならぬ、人の反射を見て我が反射を直せ。と肝に銘じようと思った。

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