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東日本大震災について

最近、いとうせいこうさんの「想像ラジオ」という本を読んだ。3.11を題材にした小説なのだが、読みながら、10年前のあの日を自分なりに思い出していた。

あの日、高校1年生だった僕は先輩の卒業式のお祝いの為、部室にいた。式を終えて部室に顔を出した先輩方とお菓子を食べながら談笑していた。ちょうどトイレにいって戻ってくるタイミングで、これまで経験したことのないレベルの揺れを感じた。

とりあえず、室内から出ないとまずいと思って、一目散に校庭へ走った。かなりの生徒が校内にいたが、僕は一等賞で外に避難した。

かなり揺れたとはいえ、地盤の堅さにだけは定評のある地域の高校だったから、特に大きな被害もなく、その日は部活仲間と一緒にいつものようにチャリで帰路につき、牛丼屋でメシを食べていた。

そこでケータイを開き、とんでもない事態になっていることが分かった。急いで家に帰り、テレビを見ると、信じられない光景が広がっていた。

為すすべなく街が波に飲まれる映像は、今でも鮮明に覚えている。これはとんでもないことになると一目で分かった。

都内は電車が止まり、帰宅難民なる人達が続出していた。僕は当時学級委員だったので、担任と友人達と手分けして、クラスメイトの安否を確認した。帰れない人は、その日は学校で一泊するように声をかけたりもした。

僕はあくまで東京にいたので、周りも含めて大きな被害はなかった。それでも、あの映像が頭にこびりついて離れないし、あの日は人生の1つの転換点となった。

罹災された方々の気持ちを推し量ることなんて、烏滸がましいことだとは思うが、ついさっきまで僕らと何も変わらない普通の生活をしていた人の多くが被災者になってしまった。そのことを思うと、とても辛くやりきれない気持ちになる。

大学に進学し、あらゆる出身地の人と交流が生まれた。その中には被災地出身の人もいたのだが、やはり話を聞いていると、とてつもない出来事であったことをまざまざと感じる。そういう人達はみんな、自分の学んだことをゆくゆくは地元の為に活かしたいという志を持っており、心から尊敬している。

僕は、阪神淡路大震災の直後に生まれ、人生で経験した災害は東日本が唯一だ。台風による洪水被害なども経験したが、これだけのインパクトを与えられた出来事は他にない。

震災直後、クールビューティーで通っていた英語教師の転任が決まった。その先生は、被災地出身らしく、転任の最後の挨拶の時に全校生徒に涙ながらにこう訴えかけた。

「皆さんは生きてください」

僕はその言葉を一生忘れない。

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