見出し画像

監視社会について

コロナ禍で一気に広がったテレワーク。    仕事姿が見えないから、生産性が下がるのではないかという懸念を唱える人がけっこう多い。

パソコンのインカメラを使って監視をした方が良いのではないか?とか。そこまではやりすぎだ。とか、生産性と監視を巡る議論は今後も続いていくだろう。

パソコンのインカメラと言えば、映画「スノーデン」の描写が思い出される。この映画は、いわゆるスノーデン事件を題材としたノンフィクションである。

その中でパソコンやスマホのインカメラから常に我々の行動が監視されており、その対抗策として、インカメラにテープを貼り付けるという印象的な描写がある。

ネットや技術の発達で、いつでもどこでも繋がれるという、とてつもない利便性を手にした一方で、常に誰かに監視されているかもしれないという、とてつもない緊張感が日常に入り込んできた気がする。

「パノプティコン」という、囚人監視施設の概念がある。功利主義で有名なベンサムが考え出したもので「円形に配置された収容者の個室が多層式看守塔に面するよう設計されており、ブラインドなどによって、収容者たちにはお互いの姿や看守が見えなかった一方で、看守はその位置からすべての収容者を監視することができた」(Wikipediaより)

この看守と収容者の非対称な関係性が、現代の監視社会を如実に表している。「パノプティコン」は現代を象徴する例えとして、最近引き合いに出されることが多い。

もはや、誰かに監視されているかもしれない状況から逃れるのは不可能と言っても過言ではない。外に出て、店に入る。そこには監視カメラがある。スノーデン氏の告発が本当であれば、パソコンやスマホを所持していれば、家の中でも常に監視されている。

いつでもどこでも、僕ら一般ピーポーはパノプティコンの収容者の如き状況である。唯一、看守側に回れるとすれば、それはマジックミラー号の中くらいであろう。(全くもって日常味がないが)

もういっそ、街中にマジックミラーハウスを建てて、ウィークリーで賃貸するとかやってみてはいかがだろう。監視する側に回る体験を売り出すのである。賛否両論はあるだろうが、意外と流行るかもしれない。(試しにマジックミラーハウスで検索してみると、いかがわしい求人募集ばかりが出てきた)

勿論、監視社会がもたらす効用は大きいと思う。街中の防犯カメラは、犯罪の解決に大いに働き、抑止力にもなっているだろう。我々のネット上の一つ一つの動きなどもビッグデータとして蓄積され、その対価としてトレンドや世間の傾向を知る事ができている。

悪用や不正利用がされない限りでは、我々のような善良な市民は恩恵に預かれる場面が多い。  ただ如何せん、いつ誰から監視されていて、その情報がどこで使われているのかが不透明すぎると思う。

この不透明さが、我々の間に様々な憶測を呼んでいる。監視者(ITのメガ企業とか)も真っ当な監視を行っているのであれば、堂々と「ここからあなたを監視して、そこから得た情報をこう使います」と公表してしまえば良いのでは?とすら思う。

僕は悲観的な質なので、これから社会で生きる限り監視から逃れる方法はないと思う。今は監視の目が行き届いていない未開の山中なんかも、ドローン技術などで監視可能になるだろう。なんならこの文章も監視の対象になってるかもしれない。

これから重要なのは、監視されている「収容者意識」を持ちながら、監視といかに上手く付き合っていくかであると思った。



この記事が参加している募集

最近の学び

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?