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菊姫が旨い日曜、トローチが旨い月曜(後編)

東京駅丸の内口の真ん前、鈍くKOBANの光が照らす道の上で途方に暮れるひとが、一体何人いるのだろう。

そこには、どんな事情があるのだろう。

例えば、待ち合わせ。恋人を待つ?友人を待つ?
どっちにしたってロマンティック。羨ましくなってしまう。

例えば、宿の取り忘れ、予約ミス。突発的な事情で東京に来て用事が済んで、気がついたらこんな時間に…みたいな。大変そうだけれど、用事が済んだ安堵感でゆっくり宿も探せる気がする。

例えば、最終電車、バスの乗り逃し。考えうる途方に暮れパターンの中で一番悲劇的、かつ阿呆なのはこのパターンだろう。何か楽しいことがあって時間を忘れたのか。それとも途中の道が混んでいたのか。

何れにせよ、そんな大馬鹿者は十分に叱咤されるべきであると思う。
特に離れた土地に家族を残してひとりのこのこと東京に遊びに来てるやつは、厳重注意を食らうべきである。

そう、それが私だ。恐れ入ったか。

偉ぶってる場合か。どうしてこうなった。


1年間何度も通った飲み屋の4周年パーティーに参加し、あまりに楽しかったわたしはその後恵比寿アトレの君嶋屋でひとり酒を飲んでいたのだった。

松の司にチーズ盛り。楽しかった祭りは終わって帰るだけか。
この瞬間がなんとも言えない。終わりの予感は今の快感を高めはしない。

未来が怖い。今も怖くなってくる。この酒を飲み終わるまで、どうか生きていてくれ祭りの感覚。

酔った頭で、そんな風に考えていた。

その矢先にメッセージが届く。飲みの誘いだった。

別の場所でまた祭りが始まる。嬉しかった。
松の司は届いて3分ほどでなくなっていた。

美味いな。

場所は恵比寿から渋谷に変わり、通ったことのない道を進んで目的のビルまで行った。汗がひどい。周年パーティーの店内の熱気にやられたか、シャツは汗が絞れるほどの状態になっていた。外で着替えた。

ああ、飲みの誘いは嬉しいが、どこへ行くのも緊張ばかりで予定時刻より早く着いても店の周りをうろちょろする癖が抜けないな。

今日もだ。ああ、3分、5分すぎる、そろそろか。よし。

意を決して店内へ入る。

誰もいない。

緊張して入ってこういうことはよくあるものだよ、とか自分に言って落ち着かせる。

落ち着かせ切る前に参加者がやってきた。
あれ。
男女ふたりでやってきた参加者のうちひとりは、ずっと一緒に飲みたいなと思っていた人だった。

そう、私はこの飲み会の参加者を知らない。主催者に呼ばれただけだった。

それにしても嬉しい偶然だった。

こういうことは偶然だともっと嬉しい。
こういうことは、これから増えるだろうか減るだろうか、とか酔いが覚めかかった頭で問う。ちょっとおしゃべりをしながら。

そんなことをしていたら続々と参加者がやってきて飲み会が始まる。夜は長いぜ、飲むかもう一度。

「ハムカツは3つ分頼む?」
「イカのゴロ煮も?」
「沖漬け忘れないで。」
「もやし炒めたやつがさ、旨いんだよ頼めよ。」
「焼酎ボトルでいいっすか?」
「日本酒いかないの日本酒。」
「ここメニュー多いなあ。」
「10年ぶりくらいに来ましたよここ。」

がやがやと、がやがやとしていた。


程よい温度帯の飲み会だった。何しろ昼間消耗したのでこれくらいが心地よかった。熱すぎず、かといって冷めているわけでは決してない。

食べ物も心地がよかった。力む必要がないものばかりだった。味付けも、盛り方も、量も、安らげた。

その雰囲気と料理を包むように佇んでいたのが、菊姫だった。

この日は菊姫が美味しかった。

ゴツくて重いイメージのあるその酒は、しかもヘヴィーに濁っているその酒は、このシチュエーションにピタリとハマっていた。

ハムカツも、ゴロ煮も、もやしも、何もかもがこのお酒に包まれて優しく消えていった。

笑い声がこだました。なんだか私の身の丈には合わないようなビッグネームが飛び交う話も多々あった。ピスタチオが白目。白日じゃないよ。土屋太鳳がいる居酒屋。ドリフが流れた。踊る劇団員たち。ディズニーランドは回る順番が大切らしい。シーでは酒が飲めるのか、初めて知った。ホールニューワールドは、こんなに笑える曲だったっけか。笑い声がこだました。何もかもが菊姫に包まれて、優しく散っていった。

その場に自分がいる意味が分かんなかった。ついついそんな事を考えてしまうこと自体が嫌いだった。飲み会の意味?あとから付け足されるもったいぶった捏造の意味?そんなものが必要なのだろうか。

そんなものは要らないのだ。笑い声が、こだましていた。

時がたっていた。23時30分。私が乗るバスは東京都八重洲鍛冶橋前24:20。

時が、経っていた。

ろくに挨拶もせずに出てきてしまった。走った。熱が上がった。階段が辛い。渋谷から東京。地下鉄乗り継ぎ。大手町まで行って丸ノ内線。ギリギリだ。走った。こういう時だけダイエットの是非を問う。咳が出る。走る。大手町。丸の内。八重洲口。あれここは丸の内口。時刻は24:19。

24:19…???

東京駅丸の内口の真ん前、鈍くKOBANの光が照らす道の上で途方に暮れるひとが、一体何人いるのだろう。

私もその中のひとりだ。この日は4人くらいいた。カップル、旅の人、ようきなおねーさん。なんで陽気なのか教えてほしい。元気を分けてくれ。

ああ3月のてっちゃんの時以来だ。乗り逃した。

仕方なくホテルを取った。セブンで安いスポーツドリンクを買った。怒りと悔しさと呆れで熱湯に近いシャワーを浴びる。熱すぎて絶叫する。水を浴びる。くしゃみがでる。あがってスポーツドリンクを1リットル飲み干す。すぐに腹痛。30分トイレに入って寝る。

今日はいい日なの?悪い日なの?なぜここに来た。
そんな言葉がぐるぐるしていた。腹痛と一緒に。

次の日起きるとやけに頭は冷静で、テキパキと東京駅へ向かった。
身体が熱かった。松屋で牛丼特盛を食べた。のどごしがおかしい。喉が腫れている。

とりあえず、新潟へ帰った。

妻に謝りながら帰った。何故かラーメンが食べたくなって食べた。喉が痛い。背脂がしみるようだ。大油(背脂をたくさん盛ることだよ)を注文したせいか。

家に帰ってシャワーを浴びて寝床へ…いや、それにしても汗が出る…。う。

気がつくとフラフラで医者へ行っていた。喉にとっても大きい膿があった。
こりゃ痛いはずだと合点した。

しみるトローチの優しさは昨日の菊姫を思わせた。
今は飲みたくないけれど。

一日経って、トローチと龍角散が友達の私は思った。

「なんでそこまでして東京へ行った?」
「乗り逃す予感はしていたのになぜ早く出なかった?」
「東京駅についた瞬間にタクシー乗るとかあっただろ?」
「なあ、なんでラーメン食ったんだ?」

いいじゃん、そこで笑い声がこだましていたからだよ。
なんか、そういう場所に行きたかったんだわ。


別に俯瞰した視点とか達観なんて要らない。


そういう楽しみ方をしなきゃいけない時期というのがあって、どうしようもなく笑わなきゃならない夜っているものがあるのだ。私はこの1年で、何よりもそのことを知った。だからこそ行った。別にまとめなくてもいい。

確かに聞こえた笑い声と、その時大事だと思えた人の笑った顔を忘れなければいい。あと、菊姫の優しさ。

最後に一つ言葉を紹介する。

最果タヒという詩人がいる。スピード感と新鮮さのある言葉、時折読み手をぎょっとさせるようなレトリックで魅力を放ち続けるひとである。そのひとが第一詩集『グッドモーニング』の文庫版あとがきでこんなことを書いている。

「過去には未来の自分を轢き殺していくぐらいでいてほしい。確定した時間というものが、不確定でしかない未来なんかより弱いはずがないんだ。私の体とこころを作っているのは明らかに過去の私であって、だからこそ、過去の私は永遠に私を痛めつける存在でいてほしい。今なんかに、未来なんかに、屈しないで。理解できないあの日として、図々しく私の一部に居座り続けて。自分の中に相容れない存在が増えていく。それが、生きることだと、行きたい理由だと、信じている。」

最果タヒ、『グッドモーニング』、文庫版あとがき、124p

誰の言葉でもいい、頭で言葉を認識して「これだ!」って思えた時に見える、輝きがある。

自分の言葉でなくたっていい。というか、言葉に「自分の」とか付けるなんてそもそもおこがましい。

私が歩く。君が歩く。たまにすれ違う。たまに飲む。その中で見つけたものが時に光る。私の中で、君の中で、誰かの中で。

そういうものを見つけるために生きている。

馬鹿な酒やラーメンも愛する。

私のこの記憶は菊姫とトローチに強く紐付けられた。

これから移り変わる時の中で何度もあの夜を思い出す。

思い出して、悔しくなって、あの輝きが羨ましくって私はきっとその日も楽しく嬉しく酒を飲む。

そういうもんだろ。生きるって。
それくらいが丁度いいのさ。

酒と2人のこども達に関心があります。酒文化に貢献するため、もしくはよりよい子育てのために使わせて頂きます。