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小さい頃からの疑問があって

薄々いつも感じているのにわざわざ言語化することもなく放置してきた疑問があって、それは日常の中で決定的なトリガーが引かれた時にパァン!と弾ける。それはなんだ、どういうことだ、何で起こった、などなどが止まらなくなる。これが結構厄介で、普段ならスルーできる誰かの物言いに勝手にかちんと来たり眉間にシワが寄ったりする。それの繰り返しでわたしの眉間はできているのだろうか。今年で30年目になるその眉間には大きな谷ができている。だから前髪をあんまり短くしたくないのだろうか、と自分の潜在意識的な何かを思う。まあそれはどうでもいいのだけれど。

不特定多数相手でも特定少数相手でも、何かを「まずい。」といってしまう人はいるけれど、なんで言うのだろう。それが今回弾けた疑問でありまして。一番初めにそれを感じたのは中学校のとき。わたしは元来食べ物の味にほとんど興味がなかった。味を意識したのは大学生の頃か、もしくはもっともっと最近かもしれない。小さい頃は運動をしていたのもあってとにかく白米が食べられるおかずがあれば何でも良かった。生姜焼き、唐揚げ、ハンバーグの類。それで良かった。ちなみに色んな魚を食べられるようになったのは大学生になり日本酒を飲むようになってからで、個別の魚の味を認識したのはここ3年位だと思う。流石にマグロとサーモンくらいはわかっていたけれど。

で、「まずい。」と言ってしまうことについてだった。

中学生の頃の同級生と食べ物の話になって、その同級生がわたしが日頃よく食べていたものをとにかくまずいといい始めたのだった。はじめは日清のラ王。次はグータという、これまた同じカップ麺。わたしはカップめんを初めて食べたのが中学1年の頃だったので、そのときなんかハマっていたのだった。(ラーメン自体も結局中学3年になるまでそれほど好きではなかった。)それをまずいと言われた。なんかショックだった。そのあとでガスト(ファミレスね)の話になり、それもまずい、と言われた。なんで言うのだろう。そしてわたしは味に興味がなかったのに何でそれに対して少しイラッとしたのだろう。その時の詳細など、もはや思い出すすべもないけれど。

何かをまずいと述べることは誰かがうまいと言ってるものをまずいって言ってる可能性をどこまでもはらむのだから、それで気分を害する誰かが現れるのは当然のことのような気がする。

味の話なんだけれど、味以上の何かを否定されたような気持ちになるんだよね。不思議だよね。わたしは今まで生きてきて心からまずいと思ったものは両手で足りるくらいしかないので(ただし苦手なものは除く)馬鹿舌なのかもしれないけれど、うん、だから誰かが言い放ったまずい爆弾の爆発に巻き込まれる可能性が高いわけで。たくさん否定されたような気分になることが多かったわけで。ようやく最近爆風を感じても、「あー吹いてるなー」以上には気にならなくなってきて、食べるのと作るのが本当に楽しいよね。全部舌の上の話なのに、それは時々世界を包んで遠近感を狂わせる。舌の上の味だけが本当で、後は全部お芝居のセットなのではないかと思うようなことがたまにある。それ、まあまあ幸せなことなのだなあと、噛み締めている次第です。ガストのハンバーグが好きでした。キッズです。昔も、今も。ライブ配信に行ってこよう。カンパイ。



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