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ブラジルで生きるという事


僕は20代の頃ジャズマンをしていました。

ある日、恩師にボサノバをうまく演奏するにはどうしたらよいですか、と質問したところ

「ブラジルにいけばわかるんじゃない」

と言われたので、

「そうか!じゃブラジル行ってきます!」

と心に決めました。

三か月後にはブラジルにいましたww

なんか、心にモヤモヤができた時の僕の謎の行動力に自分に驚くww


学生ビザで行ったので二年ちかくサンパウロに住んでいました。

僕の経験が誰かの参考になることがあるかもしれない、と思いここに残しておきます。


ブラジルに到着


降り立つとそこはブラジル!

やべーーー!ってなりました。

地球の真裏まで来てしまった。

そしてーーー!

僕はポルトガル語がわからない!ww


そう。なんの知識もなくブラジルに行きました。

始めての海外生活だったので、海外生活というものを理解していなかったww

日本語が通じない、とは肌感覚でわかっていたのですが言語の壁がここまでなのか!と思い知らされました。

しかも何をするか、などもなにも決めていませんでした。

ただただブラジルに行きましたw

ザ・無計画

さて、どうしよう。


なんだか音楽通りらしいものがあるらしい、と聞きました。

テオドロサンパイオ通りと言う音楽通りは、音楽関連の店が沢山並んでいました。

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休みの日の写真なんでわかりにくいですが、escola(学校)と書かれた看板があったので入ってみました。(白い中央の建物)

ボサノバなどブラジル音楽を学びたいのだ、と説明し、ピアノのレッスンを受けました。

しかし、一回目の授業の後、校長が僕を呼び、写真を見せてきました。

その写真は先生が生徒を教えている写真で、先生の所を指さし、voce(あなた)としきりになにか訴えようとしました。

理解するのに時間がかかりましたが、なんだかピアノの先生をやって欲しいとのことでした。

やったーー!早速仕事ゲットーーーーー!


それ以来、毎日そこに通いました。

そこのピアノが弾き放題なので練習がてら、暇そうにしてる生徒さんを見つけてはしきりに話しかけました。

なにせ僕はポルトガル語が全くわからなかったから先生業できないので、まずは言語だと思ったからです。

毎日誰かと話しをしまくった結果、3か月後には先生業に必要なカタコト会話ができるぐらいには言語が理解できるようになりました。

生徒数も順調に増えました。

通常一年間に5人生徒が増えればそのスクールでは上出来なのですが、僕は一年間で25人生徒を増やしました。

外国人である、というユニークさが活かせた瞬間ww


その学校で、ドラムやらギターやら沢山の先生と友達になりライブに誘ってもらいました。

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ピアノの所でぼやけているのが僕ですww

このトランペットの方はDjavan(日本でいうB'zぐらいの人気の人)のバンドの人でとてもすばらしい奏者です。

ベースのミルトンも国際的なジャズフェスに呼ばれるほどの実力者。

このメンバーで演奏するのがすごく好きでした。


レッスン代、ライブ代、生徒のバンドの補助などで日本円で月15万円ほど稼げるようになりました。

たいした金額ではないんですが、物価がとても安いので楽な生活ができました。(15万円は肌感覚で40万円ぐらいの価値と感じるぐらいでした)

タバコは2ヘアイス、1ヘアウは当時60円だったので120円。

といえば大体物価を感じていただけるかな、と思います。

一度露店で500円分のブドウを買ったのですが、冷蔵庫に入らないくらい4房の大きいのを頂きました。

地下鉄はどこに行こうと一律120円。

ただ、スーパーなどでアルバイトをした場合時給1ヘアウだと言っていたので、最低賃金は60円っぽい。

このアルバイトの人たちが地下鉄乗った場合時給2時間分ではないか!って驚いたものです。


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親友も出来ました。アレシャンドレ(トランペット吹いている)

ピアノ(シンセ?)は僕です。

彼にはとてもとてもお世話になりました。彼なしでは不自由な暮らしになっていたことは間違いない。

アレ、君は神だ。


面白い、と思ってもらえそうな写真

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これはなんのパーティだと思いますか?


正解は


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クリスマス!!!!

アレ(アレシャンドレ)のお父さんがサンタさんです。

お父さん、プータキパリウという暴言をずっと言ってましたw

なぜって?

なぜ一人だけこんなに暑い恰好をしなきゃいけないんだって怒ってたww



捨てられてた猫達と一緒に住んでいました。

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「りょう、このネコ飼わないか?拾ったんだ」

とイスプロカッチ・トカリーノが言ってくれたので、

このネコたちをイスプロカッチとトカリーノにしました。

カチ子とトカ子。


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レコーディングも結構しました。

ブラジルで何枚かCDデビューしてるっていうとなんか面白いでしょww

こうゆう面白いの大好き。


旅行はバスで。

バスで17時間だったかな、とにかく長い道のりで行ってきたのが

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イグアスの滝!

ここは行くべきです!!最高の思い出です。

そのままアルゼンチンに遊びにも行きました。

国境をバスで横断するなど、スリルあったよー。

そしてもちろん僕だけ止められたww

ずっとパスポートを睨まれた。やっぱここまでローカルなことするアジア人いないみたい。

スペイン語でなんか言ってくるしさーww

わかんないんだって。(ちなみにその悔しい思いがあってスペイン語は勉強してやりましたよ)


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リオデジャネイロも行くべし。

海岸を歩いてたら、正面の男性が僕の眼鏡を盗もうとしたよー。

とっさにボクサーになった僕はなんとかかわせた!!


やっぱり治安は悪いですねー。

一度、物乞いの方に襲われそうになった。

なんとか逃げ切ったけどあれは怖い。


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トランペットのオンブレとサックスのホドリーゴ

この二人はスタジオミュージシャンで、一緒にバンドを作った。

このバンドのドラム、バンジーニョもやばい実力でした。

最高の演奏活動してました。MTVにライブが放送されたり、新聞の記事にもなりました。

この二人は今もテレビ番組の後ろで演奏したりして、引っ張りだこみたいです。


そうそう。

ブラジルでのライブ演奏は23時から始まるのがほとんど。

だいたい朝の3時ぐらいまで弾いてた。

なのでライブの日はどうやって家に帰るか、が課題。

電車はすでに終わってるからねー。

他のミュージシャンに送ってって、って頼むんだけど、無理な時はお客さんに話かけてた。

「おおー兄ちゃん、いい演奏だったねー。まあ呑みなよ」

とだいたい言ってくれるので一緒に呑みます。

そしてその飲酒運転の見知らぬオッサンに送ってってもらいます。

これは悪夢ですよー。

一度、ちょっと待ってろ、と言われ、待ってたら運転手は別のバーに入って行ってそこで呑み始めたww

僕は車の中で彼が呑み終わるのを待ってた!

だから家に着いたのが朝の8時。

9時には家を出てレッスンしに行ってた。

もはや送ってもらった意味なし。


あと、面白い話と言えば。

最初はシャワーとトイレの共同の所に住んでいたんですが、シャワーの後、部屋に戻ったところ、

一応用心のため部屋の鍵かけていくじゃーないですか。

鍵がぶっ壊れてて開かない!

なのでシャワー後のパンツ一丁のまま鍵屋さんまで歩いて行きましたよw

鍵をぶっ壊してもらいました。

面白いのはパンツ一丁で街歩いてても誰も注目しなかったよーw

この話を友達にしたら、皆「鍵ってすぐぶっ壊れるよねー」って言ってたのでブラジルの鍵の技術は、やばいです。



いかがだったでしょうか?

音楽スクールの校長が僕を気に入ってくれてて、就労ビザを必死になって取ろうとしてくれたんだけど、結局許可がとれなかったので帰国しました。

あれがもし取れていたら僕はずっとブラジルで働いていたと思います。

それほどブラジルが大好きです。


終わりに


ブラジルで生きるって面白いな、って思って頂けたなら嬉しいです。

たしかに日本に比べたら断然治安が悪いです。

しかし、明日何が起こるかわからないから、皆その日その日を一生懸命、力強く生きてる。

日本では少し地方に行くとまだ夜中に暴走族がブンブン音立てて走ってるじゃないですか。

それと同じでブラジルも夜中になると酔っ払った人たちがサンバ歌いだして、そのまま行進が始まります。

朝6時ぐらいまでそのサンバ軍団は歌い続けるので寝れたものではなかったです。

それぐらいパワーを持った人たちが多いです。

僕もその活気にあてられ一生懸命生きていました。


南米に住むにはパワーが必要です。

若いうちにそういった経験を積んでおくのも、アリだと思います。

やってみたいな、と思ったことはやった方がよい。

僕は好き勝手にやってきたから人生失敗しまくりです。

でも、それでも今仕事にありつけてます。

将来が不安でやってみたいけど無理だなー、も正解です。

わざわざこんなやんちゃな経験しなくてよいと思いますww


僕は自分の人生をカッコイイ、とは思いません。

人生の分岐点でいつも自分が選びたい方を選んできた、のは事実ですので僕はこの人生を歩みたい、と思っていたのだと思います。

しかし、今一番カッコイイと思うのは普通のお父さんです。

嫌な仕事でも家庭のために一生懸命働くお父さんという存在が最もカッコイイと思います。

僕みたいなハチャメチャな人生を面白い、と感じてくれる人もいてくれるかもしれません。

僕も自分のハチャメチャな人生を楽しんでいます。

一方、堅実に働き、家族を大切にされてる方もとてもカッコイイです。

どんな人生であれ、どんな選択をしても、その人が納得できれば全てカッコイイと思います。

楽しく生きましょう!

でいいんじゃないか、みたいなノリで最近は生きていますw


読んでいただきありがとうございました!

こんな駄文ですが、誰かの目にとまり、どうしようかと悩んでいる人の肩をポンと押してあげれるような文になっていたら素敵だな、と思います。






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