親は干渉するな

皆さんこんにちはRyoです。

今日は僕が競技としての卓球を嫌いになったことについて書きます。

僕は中学時代卓球部にいました。
うちの学校は団体戦で毎大会決勝に進むような、
比較的強めの学校でした。

秋の大会は、
個人戦でも2種類あり、
シングルスとダブルス、そして団体戦がありました。
各校からシングルス2名、
ダブルス三組までという出場制限がありました。
(数は多分です)

誰がシングルスに出るか話し合いをすることになりましたが、
当時2年生の僕の代5人が全員シングルスを希望しました。

話は平行線で1回では終わらずに、
何度もしましたが、
なかなか決まりませんでした。

あまり詳しい経緯は覚えてないのですが、
当時僕は副部長で楽しみながらやるスタンス、
部長は外部の卓球クラブにも通い学校でもガチでやってました。
ちなみに僕以外大半が卓球クラブに通っていました。

ある日その部長が、
親からの手紙を顧問に渡したという噂が耳に入りました。
耳に入った直後に顧問から集められた時に、
顧問が手にしていたので事実でした。

問題は内容で、
どうやら部長が父親に頼んで、
父親から
「息子をシングルスに出場させて欲しい」
といった内容だったんです。

僕はそれを聞いた途端卓球に関する一切の情熱をなくしました。

部活動の主体はあくまでも生徒であって、
どの生徒が出る出ないとかは、
基本は生徒同士や顧問、
または学校から依頼している外部指導者などによって決まるものだと
僕は思います。

親の手紙でシングルスに出られるそんなことが許されてちゃたまったもんじゃありません。

その時期卓球の腕に伸び悩んでいたこと、
僕以外の部員の多くが通っていた卓球クラブの指導者の口出しが多くなっていたことも重なって、
一気に卓球が嫌いになりました。

入部した頃は実力も拮抗していて、
楽しくやっていた仲間だった部長が、
卓球クラブに通ってから
変わってしまったなって感じてしまったんです。

結局僕は真っ先にシングルス出てることを放棄しました。
本当は大会に出る気もなかったのですが、
当時組んでいたダブルスのペアが、
一つ下のたった1人の部員だったこと、
彼が僕を慕ってくれていたので、
ダブルスには出ましたが、
団体戦では適当に遊んでました。

秋大会が終わってからは引退まで、
部活動の時間になるととりあえず荷物を置いて、
着替えたら、
教室とかで練習している吹部に遊びに行ったりしてサボっていました。

同じ空間に居たくなかったから

今でも部長のことは嫌いです。
生徒同士の話し合いにいきなり親を持ち込むなんて幼稚園児じゃないんだから。

でも、今書いてて改めて、
中学でも高校でも
こんな変わり者の僕のことを慕ってくれる後輩に出会えたことは、
とても幸運だなと思いました。

僕は保護者になって、
子供になんとか言ってよと言われても、
よっぽど理不尽なことが起きていない限りは
迂闊に口を出さないようにしたいと思ったきっかけでした。

閲覧ありがとうございました

Ryo

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