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日記・幾田りら『スパークル』感想 −失恋に煌めく花火みたいに−

 夕食の準備をしないまま夕食の時間になってしまいました。

 最近、ふとした時に幾田りらさんのスパークルを口ずさんでいます。



 儚い花火のジャケット写真が遠くから見ると金木犀のように見えて、夏から秋に季節が移ろいでいく時の切なさを思いました。


 夏が過ぎて、9月の少し冷えた夕暮れの海で湿気り始めた残りものの花火に火をつけると海の向こうから夜がやってくるみたいに。

 光り始めた星に気づいたから、夏の間は夜空を見上げる時間も惜しいくらい見ていたあなたを追いかけるのはこれで最後。

 さよならって言いたいけど、さよならって言ってしまったらこの恋もどこかへ行ってしまいそうだから、さよならしないで恋だけを抱きしめて。

 もう目を合わせてくれなくても、いいよ、でも目が合った時に見えた流れ星のような煌めきをあなたにも見せたかった。

 秋の海辺で線香花火が燃え尽きて砂浜に落ちる間に次の恋を願う。次こそは叶う恋に落ちますように。


 ──スパークルの感想を書こうと思って、でもこんな切なさをどんな言葉にしたらいいか分からなくて、スパークルを聴いていると浮かんでくる情景を言葉にすることにしました。

 失恋をした時にこんな曲に出会ってしまったら一生忘れられません。曲のことも、誰かの元へ行ってしまったその人のことも。

 失恋しなくてよかった、ううん、失恋してもよかった、この曲が一生そばにいてくれるなら失恋のひとつくらい悪くないと思えてしまう、そんな一曲でした。





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