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知らないことは訳せない

 医学翻訳に関していうと、知らない内容は訳せない。疾患についてであろうが治療についてであろうが、そこで語られている内容がわかっていなけば、単語や構文からなんとか誤魔化して訳してしまおうとしても、それは読んだ人にすぐわかってしまう(と思う)。

 池上彰さんは『相手に「伝わる」話し方』の中で、ニュースを読むアナウンサーについて、

自分が理解できない原稿を読んでも、聞いている人がわかるわけがないのです。

と書いている。

 古賀史健さんは

文章を書くときには「すべてバレる」と思ったほうがいい。嘘はバレる。背伸びもバレる。手抜きもバレるし、気の利いた技巧だってぜんぶ技巧とバレてしまう。

ツイートしている。

 翻訳も、ニュースを読んだり、文章を書いたりするのと同じである。内容がわからずに訳しても、読者には伝わらないし、わからずに訳していることがバレる。医学だけでなく、専門的な内容の翻訳では他の領域でも当てはまるのではないだろうか。

 とはいえ、医学が進歩するにつれ、自分の普段の診療の守備範囲でなければ、どうしても知らない内容は増えてくる。手技を説明した文章などはわかっていなければ正直お手上げである。

 このような場合には、原文を無理矢理訳して形を整えることは早々に諦める。この方法は誰のためにも立たない。一番簡単なのは、参考文献が示されていれば参考文献を読むことである。本の中では1行で書いてあることでも、文献ではたいてい微に入り細に入りびっしりキッチリ説明されているので、これで解決することが多い。

 それでもわからなければ(あるいはさらに確認したければ)、当該分野の専門家に聞く。専門家はさすがに専門家だけあって、極めてわかりやすく簡潔に説明してくれることが多い。私自身は「困ったときは、即座に人に聞け」を信条にしているので、少しでも疑問があれば聞くようにしている。「田中とかいうヤツから、なんだか突然質問が来るのだけど」という専門家のみなさま、スミマセン。いつも丁寧に教えてもらえて、非常に感謝している。

 このように元文献や関連資料を調べたり、他の人に聞いて回ったりというのは時間のかかる作業ではあるが、読者にとっては意味のわからない翻訳を読まされずにすみ、翻訳者にとっては誰の役にも立たない悪訳を世に出さずにすむ。また、その方が翻訳者自身の勉強になる。「読みやすい日本語にこだわる」というのは、こういう意味も含めてのことである。