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海外生活から帰国して1ヶ月。

3月4日、僕はオーストラリアから帰国した。
オーストラリアでは、大自然に身を置き、
そんな自然に毎日感動しながら、自分と向き合い、
自問自答を繰り返していた。
俺は日本に帰ったら何をしていくのか、何を大切にして生きていこうか、
そんなことを考えながら、海外での生活を送っていた。

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一人で考えて、もやもやする時は、ルームメイトのマーカスというドイツ人の男によく相談をした。
マーカスは一つ年上の25歳だったが、僕に比べるととても成熟している大人で、いつも心にグッとくる一言を僕に言ってくれた。
ヨーロッパ人の遊び方をはじめ、文化を沢山シェアしてくれた彼と時間を過ごしていると、自分の心にある気持ちが浮かんだ。

日本に帰ったら、親にいつもありがとうと伝えて、仲良くやっていこう。

マーカスはいつも、「親を大切にして、生きていきたい。」と言って、
よく忙しい時でも、親とスカイプをしていた。

僕は別に親とものすごく仲が悪かった訳ではない。
連絡も取り合うし、楽しい話しもする。
でも18歳の頃に家を飛び出してからずっと心配されている。
その心配からなのか、僕が何か新しいアクションを起こそうとすると、
親とはいつも喧嘩になってしまう。
心配してくれてるから言ってくれてるんだな。
ありがたい気持ちにはなるけれど、
だからといって、親が言ってくれるような道に素直に進めない自分の気持ちもあり、結局は自分が思う方向へ進んでしまう。

そんな親としっかり向き合っていきたい。
何か少しでも納得させれるような行動を取りたいと思った。


メルボルンからの直行便は、成田空港行きしかない。
だから僕は、何人かの友達がいる東京で、
何日か過ごそうと思ったが、
やっぱり家族の元へまずは帰りたいと思い、そのまま関西空港へ向かった。

関西空港では、家族が迎えに来てくれていた。
本当に嬉しかった。
京都までの道中は、オーストラリアで経験したことを沢山話した。

でも聞かれて一番答えに困った質問は、

「これから何するの?」


「決めていない。」
これが僕の正直な答えであった。


帰国してから1週間ほどが経ち、僕はこれといってやることがなかったから、
父親の仕事を手伝うことにした。
何か力になりたいと思い、始めた。
慣れない仕事だったが、なんとか毎日やっていた。

その後、僕は友達に会いにいく為、
お仕事を休んで東京へ行き、4日間東京で過ごした。
楽しい時間を過ごすことができた。
そして僕がこの東京での時間を終えたときに、思ったことがある。

それは、
「東京にまた住みたい。」

僕は18歳から家を飛び出し、東京で生活をしていた。
夢を叶えたいと思い、生活していた東京を3年ぶりに見たとき、
全てが懐かしく思えた。

そういえばこのお店、あの時あいつと行ったな。
ここであんなことあったな。
ここを歩きながら色々考えていたな。

生まれ育った京都にも思い出はあるが、
この東京にもまた沢山の思い出があり、
その思い出は、場所やその雰囲気を感じると心を震えさせ、蘇ってくる。


京都に帰り、まずはお店を手伝っていた父親の元へ行き、
東京へすぐにでも行きたいということを伝えた。

分かった、頑張ってこい。

と言ってくれると思って伝えたのだが、
答えは全く違ったものだった。

「一回決めたことをそんなコロコロすぐに変えるな。
 そんなことばっかりやってたら、一生そのままやぞ。」


僕はそんなことを言われるとは思っていなかった。
だからなのか、僕は必死で自分の思いを伝えて、
次第にそれが熱くなってしまい、
結局、最後は父親と喧嘩をすることになってしまい、
僕はそのまま父親と別れた。

父親から言われたことに対して、
でも俺はやりたいと思ったことはすぐにやりたいと反抗したが、
父親が言っていることは、たしかにそうかもしれないとも思った。


自分の中でまた悩みが出てきた。
本当にやりたいと思ったことをすぐに行動に移したいという気持ちは
間違っていないのだろうか。
何かやりたいと思ったとしても、一度やると決めたことをすぐに辞めてしまうことはダメなことなのだろうか。
父親の言うように、こういう行動を続けていくのはダメなことなのだろうか、自分に甘い考え方なのだろうか。

こんなことが頭の中でグルグル回っている。
でも自分の頭の中では、答えを出すことができない。
何が自分にとって一番大切な選択なのか分からないし、
何がダメなのかも分からない。
そしてそんなことを考えると、自分の決断に対しても自信を持てなくなってきて、よく分からなくなってしまう。


僕はこんな状態のまま、東京へ来ることになった。

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