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浜口雄幸をどこよりも分かりやすく!

わしは浜口雄幸
頑固で一度決めたらやり遂げる性格とその風貌から「ライオン宰相」なんてよばれておった
わしは、「緊縮財政」と、「金解禁(=金本位制への復帰)」をどうしても実行したかった
金本位制って何かって?
それは「日本の通貨は金○○グラムと交換できますよ」って宣言することだ。
世界中のどこにいっても金の価値は変わらないよね
その金と日本の通貨を変えられるとなれば、日本の通貨だって安定するよね
「ああ、日本の通貨って信頼できるんだな」って
わしが首相になったときは、まあいろいろあって金本位制はストップされていたんだよ
でも
各国は言うんだ
「俺たち欧米はみんな金本位制にしてるぞ。金本位制にしてないのは日本だけじゃん、日本も早く金本位制にしてもらえんもんかね」
日本の金融界や貿易商らも言う。
「金本位制にすれば(=金解禁を実施すれば)、為替も安定して外国との貿易だってやりやすい。各国は金本位制にしているんだし、日本も早く金本位制にしてほしい」
そうした内外の声にこたえて、わしは金本位姿勢への復帰(=金解禁)を実行に移すことにしたんだ。

だが、金解禁ほどの大事業は並みの人間ではつとまらん
この男なくしては金解禁(金本位制への復帰)は実行し得ない。わしは井上準之助くんを大蔵大臣に登用したんだ

さてわしは、これから金解禁を実施していく(=金本位制にする)ということを決めたわけだが、問題は通貨の価値をどう設定するかってことだ
1円を金何グラムに設定するかというようなね
この読み間違い、そして金解禁(=金本位制への復帰)を実施した時のタイミングの悪さで、昭和恐慌になってしまった
ううむ、思い出すのもしんどいが、こんな感じだった
折しも金解禁をしようとする直前に、アメリカで株が大暴落したのさ
だが、わしも井上君も「でも、まあきっと大した不況にはならないだろう。大丈夫だ」
そう思って金解禁を断行したんだ
ところが、どっこい。
ああ、なんてこと。
これが世界を恐怖に陥れる「世界恐慌」へと発展してしまったんだ。
よりにもよって世界恐慌のときに「金解禁」を断行してしまったのだから、とんでもないことになってしまった
「日本は金解禁を実施したぞ。しかも割安で金を買える設定になってるぞ」
不景気になると通貨の価値は不安定になるけど、それでも金の価値は変わらない
そんなわけで、どんどん海外に金が流出していったんだ
円高になって輸出も伸びないし、米や繭の値段も大暴落し、農村では女子の身売りが相次いだ
大学を出ても就職できない
企業もバタバタ倒産していく
そんな昭和恐慌のさなか、わしはスローガン通りに産業合理化を進めたんだ。
「どんどん企業が倒産していく。このままじゃやばい。企業を守る法律を、生糸や鉄などの大事な産業を守る法律をつくるんだ。重要産業統制法じゃ。おい企業さん方、お前さんらでよく話し合って値段や生産量を決めちゃいなさい」と、企業のカルテル(複数の企業が連絡を取り合って、本来ならそれぞれの会社で決めるべき値段や生産量を共同で取り決める事。例:「みんなでいっしょに値上げしませんか?」etc)を促す法律を作ったんだ
そうすれば、企業同士、競争をしないですむから、つぶれにくくなるじゃろ?
もっとも国民は高い値段で買う羽目になるから不満もあるだろうがね。


ところで外交面では、わしは協調外交の路線で進めた
協調外交といえば、幣原くんしかおらんじゃろう
わしは幣原くん(幣原喜重郎)を外相に任命した
そして、ロンドンで軍縮の会議に参加し、軍縮する条約に調印した。この時には全権は若槻君(若槻礼次郎)に任せた。
今回の軍縮については、一部海軍の反対もあったが、無理して押し切ったんだ。
だが、それで
「軍を動かす権利は天皇にある(=統帥権)と大日本帝国憲法で決められている。なのに浜口内閣は勝手に軍を縮小した」「これは統帥権の干犯だ」と攻撃されてしまったんじゃ。
けっきょくわしは、これに不満をもった右翼の青年によって東京駅で狙撃されることになる。死にはしなかったものの、首相を続けることはできなくなって、総辞職したんだ

(注)ロンドン海軍軍縮会議
この会議では各国の補助艦の保有比率を決めたんじゃ
補助艦の制限を米英10に対し日本は7(正確には6.9)と決まったのさ
わしは全権を若槻君に一任した





城山三郎氏の小説「男子の本懐」は浜口雄幸について書かれたものですが、「金解禁」についてのわかりやすい描写があったので、以下抜粋します
37ページ
なぜそれほどに金解禁にこだわるのか。
金解禁とは、金の輸出禁止措置を解除し、金の国外流出を許す、ということである。
もともと世界各国とも、金本位制をとり、金の自由な動きを認めていたが、第一次大戦の勃発により、経済がかつてない混乱に陥った際、先行きの不安に備え、各国はとりあえず金を自国内に温存しようとして輸出禁止を行った。
日本も1917年(大正6年)9月、寺内内閣の時、大蔵省令によって、金輸出を禁止した。非常事態に際しての非常手段であった。
金本位制の下では、各国とも、紙幣は兌換券であり、中央銀行でいつでも表示の金額に代えることができるし、その金貨の金含有量によって各国の交換比率(為替レート)が法定化される。
ある国で輸出超過が続けば、決済代金として、外国から金が流れこむ。
その結果、その国の金の保有量が増え、これに比例して自動的に通貨が増発される。
このため、今度は国内物価が騰貴するようになり、輸出は前ほどのびなくなり、逆に外国品の輸入が増えて、輸出入のバランスが回復する。
逆に入超続きで、国際収支が赤字のときは、その支払いのため、金が海外へ出て行く。この金保有量の減少に応じて、中央銀行は通貨の発行を減らすことになるので、デフレがおき、物価が下がる。このため、輸入が減る。国際収支は自動的に改善に向かうわけである。
各国が金本位制をとれば、各国経済が世界経済と有機的に結ばれ、国内物価と国際物価が連動して、自動的に国際収支のバランスもとれる。
金本位制は火の利用と並ぶ人類の英知だ、とたたえる声もあるほどであった

同抜粋41ページ
国の内外からそれほど求められているというのに、歴代内閣は、なぜ金解禁に取り組まなかったのか。
一つには準備の問題がある。
解禁そのものは、大蔵省令一本でできるが、為替相場が低落したままの状態で解禁すれば、法廷相場との間に大きな差が出るため、たとえば、手持ちのある輸入業者は大打撃を受けるし、輸出業者は外貨建て値の急騰で輸出ができなくなる。いっぽう、為替差益を狙っての投機も横行する。
このため、解禁に先立って、為替相場をできるだけ回復させ、法廷レートの近づけておかねばならず、財政を中心に強力な緊縮財政を行って、国内物価を引き下げておく必要がある。
また、一時的に金の流出が予想されるので、金準備を増やし、外国からの信用供与もとりつけておかねばならない。
これら諸条件の整備と、解禁のタイミング決定は、浜口のいうように、尋常一様な財政課の手に負える仕事ではなかった。
次に首尾よく金解禁が実現されたとしても、入超続きの日本では、金の流出が続き、通貨は収縮せざるを得ない。当然のことだが、不景気がさらに進行することになる。
大戦景気にならされ、膨張したままの企業や家計が耐乏生活を強いられるわけで、水ぶくれした体質が改善され、国際競争力がつくまでは、ある程度の時間がかかる。
すでに長い経済の低迷があり、金解禁を望む多くの人々は、即効薬を期待している。だが、金解禁は即効薬ではなく、苦しみながら苦い薬を飲み続けることである。苛立ちのあまり局面の転換だけを求めていた人々をはじめとして、民衆の多くが辛抱できなくなる。健康体になるために、なおしばらくの不景気が必要だ、という理屈も通らなくなり、やがて為政者をうらむようになる。
政治家の売り物となるのは、常に好景気である。あと先を考えず、景気だけをばらまくのがいい。民衆の多くは国を憂えるよりも、目先の不景気をもたらした人を憎む。古来、「デフレ政策を行って、命を全うした政治家はいない」といわれるほどである。容易ならぬ覚悟が必要であった。


あと他の方が書いた記事ですが、ネット上でよい記事をみつけたのでシェアします
https://manareki.com/ban-lifting-of-gold

http://jugyo-jh.com/nihonsi/jha_menu-2-2/%E6%B5%9C%E5%8F%A3%E9%9B%84%E5%B9%B8%E5%86%85%E9%96%A3%E3%81%A8%E6%98%AD%E5%92%8C%E6%81%90%E6%85%8C/


~浜口雄幸内閣(立憲民政党)のできごと~
1929年 世界恐慌
1930年 金解禁(金本位制への復帰)→昭和恐慌へ発展
    ロンドン海軍軍縮条約→「統帥権の干犯問題」
1931年 三月事件
    重要産業統制法







以下は自分用メモ
(注)第一次大戦のときに、各国は金本位制をストップしたよ。でも非常事態が終わったので、非常手段もやめることにした。つまり金本位制へ復帰したんだ(=金解禁を実施した)。
パリ講和会議が始まった1919年には、アメリカが金本位制に戻った。その後多くの国が次々と解禁した。
金本位制に復帰していない日本の経済は「通貨不安定」と・・・

話すと長くなるんだが、まあ聞いてくれ。
第一次大戦中、各国は自分の国の金を流出させたくなかったから、金本位制をストップしたんだ
それにならって、日本も金本位制をストップした。
でも大戦が終わり、各国はまた金本位制に戻していったんだ。
しかし、日本は戦後恐慌、震災恐慌、金融恐慌と相次ぐ恐慌で、金本位制に戻すタイミングを失ってしまっていた
もわしは、この金解禁の実行に踏み切った









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