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超進学校という呪い

皆さんは、「天才」の集団を見たことがあるだろうか?
勉強、運動なんでもござれ。弁も立ち、教養にあふれ、感じが良く、何なら恋愛までこなしてしまう。

それなりに経験値を積んで、要領も(当時よりかは)幾分マシになったとは思うけれど、それでも5年以上前の彼らに勝つことは、あらゆる面で無理なはず。

私は、偏差値70超えの超進学校に通っていた。

彼らは、皆、あらゆる意味で天才なのだ。基礎能力がずば抜けて高い上に、不足した部分はきちんと努力で補える。
高校時代から起業は当たり前。国連のディベートで優勝したり、理Ⅲに現役合格したり。

医学部を目指していた友人は、WHOを目指すと言っていた。
(個人的な感覚として、一般人が、医学部を目指す、ということのゴールは、医者になる、という一点であるはずだ。しかし、その友人にとって、医者になる、ということは、あくまでも過程なのだ。)

その集団に、たまたま小学生の時「だけ」賢かった、私のような人間が入るとどうなるか。
そう、簡単に落ちこぼれになる。

思い出しても頭を抱えたくなるほど、当時の成績は酷かった。
赤点は当たり前。何が解らないのかすら解らず、お手上げ×ほぼ全ての科目。

そもそも、この学校のシステムは、大多数の天才に合わせられており、落ちこぼれの救済なぞ、ハナから組み入れてなどいない。
よって、一度レールから外れた人間は、あっという間に置いて行かれてしまうのだ。

*実際、先生方には、「下位2割を切り捨て、上位2割を確実に東大に、残りの6割を押し上げろ」という指示が出されていたそう。

学校の外では、肩書だけで誉めたたえられ、辛うじてちっぽけな自信を保つものの、学内では「自分は馬鹿だ」という事実を突きつけられる日常。
悠々と東大A判定を取る友人の横目で、D以下の判定が並ぶ自分の成績。
恋愛から部活から、軽々と皆がこなす中で、何一つ上手くできない悔しさ。

進学校に通って、落ちこぼれるとは、こういうことなのだ。

結果として見れば、この時のバネを反動に、なんとか上手くやれている(と信じたい)けれど、あの6年間は何だったのか、と未だに思います。



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