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判断をするなら、やってみてから

5秒で仏教

小学生になって初めての夏休み、息子は毎日こつこつと宿題に取り組んでいます。その中で苦戦しているのが算数で、計算問題の正解率がなかなか上がりません。そこで「どう教えればいいのか?」と考えたのですが、これが極めて難しいのです。

たとえば「どうして1+1=2なのか?」と聞かれても、理系ではない私の口からは「とにかく1+1=2やねん」としか出てきません(笑)なので、どうしても「とりあえず、やって覚えるしかない!」と言うばかりで、果たしてこんな教え方でいいのかと少し不安になります。

ところが、これがお寺だと最も的を射た教え方になります。たとえば「どうして南無妙法蓮華経なのか?」と聞かれた場合、お坊さんである私の口からは「とにかく南無妙法蓮華経なんですよ」としか出てきません。なので、どうしても「とりあえず、一緒にやってみましょうよ!」となります。

中には「そんなんじゃ納得できない」という方もいらっしゃいますが、これは私が意地悪で「答えない」のでもなければ、私が無能で「答えられない」のでもなくて、ただただ「答えようがない」のです。つまり、それだけ南無妙法蓮華経の意味や力、働きというのは大きくて、広くて、奥が深い。とても言葉では表現し切れない、語り尽くせないのです。

逆に言えば、ただただ「南無妙法蓮華経」と唱えるだけで、それだけの力や働きを得ることができるということです。たとえ、その根拠や理由が一切わからなかったとしても何ら問題ありません。そう思うと、うちの子がひたすら計算問題に取り組むように、ご信心もひたすら取り組み続けることが大切なのです。

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