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あたしは君が好きだ

「もう恋をしなくていいって幸せだ」

既婚の知人と話したときに、こんな言葉を発して頷き合った。
でも一方でこんなことも言われる。

「それはなんて勝ち組の発言なんだ」

なんとも“勝ち組”とは悲しい言葉だ。情緒もなにもない。

何十年か生きていれば分かると思うが、現実の恋物語は意外とロマンチックだ。ドラマや小説のような恋をしてみたい、と多くの人は思うだろう。しかし、自分の話だけではなくとも、周りの話に耳を澄ますと、よっぽど現実の恋のほうがドラマチックで劇的で、劇薬で、身を滅ぼす。体も心も削るものだから、そう何度もできない。だから願う。できれば、このドラマチックな恋がバッドエンドになりませんように。結婚というハッピーエンドで第一幕は終わりますように。だってもう一回こんな恋をするほどの体力は残っていません(第二幕の結婚生活についてはそのときは考えたくない、というかあまり考えていない)。だから、無事に第二幕がスタートした人はホッとする。もう一度、心身共に痩せ細めるような恋はしなくていいのだと。
そうだ、恋は疲れる。でも一回はしとかないといけないとも思う。

たまに、「恋愛の話なんてくだらない」という人がいる。確かに「恋バナ」などと言って消費されている感があるが、恋は人生の大きなイベントだ。「好き」という気持ちはすごく、尊いものだと思っている。
何をしてもかわいい、許せる、自分が相手の視界に入っただけで歓喜、相手が自分のことを考えてくれている時間があったと分かれば、嬉しさのあまりでんぐり返ししたくなる。そんなことが普通に生きていて起こり得るなんて奇跡だ。ちゃんと恋をしていない人は人生損してる、と言い切りたい。ここに関してだけは。

でも、なぜかその嬉しさっていつの間にか忘れる。好きが当たり前で、好かれるのが当たり前になると、違うものを求める。

人によっては、まだちゃんと恋ができていないのに、結婚しなきゃいけないから、なんとなく好きになれそうな人を見つけて努力する。

もっと本能だけで好きになれたらいいのになあ。
そう考えると、どうして結婚なんて制度があるんだろう、とも思う。どうして誰かと結婚して、結婚した相手と子どもを作らなきゃいけないんだろうなあ。極端だけど行きずりに恋い焦がれた相手と子どもを作ったっていいんじゃないかなあ、と思うけど、何故だか世の中はそんなことを許してくれない。

君が好きだ、っていうと、ちょっと世界が変わる。
触れられる人じゃなくたっていい。
逆にもう嫌というほど一緒の時間を過ごした人に言ったっていい。一度、死にそうなぐらいに苦しくて、楽しい恋をすれば、二度目はなくたって、好きは言える。
君が好きだ。
好きであたしを満たせれば、それだけであたしの世界はハッピーなのに。


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