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完:【UXの失敗記録】なぜ、ばあちゃんはiPadを使わないのか?

ばあちゃんにiPadを与えて1年。ばあちゃんの人生に小さな変化が起こり、ちょっとハッピーになった最終話。

この連絡を最後に1ヶ月ぐらい電話もLINEもなかった。

久しぶりに帰省したので、iPadを使っているか聞いてみたところ

結局、画像の送り方やYoutubeは忘れていて、進歩なし。同じタイミングで帰省した妹たちにいろいろ教えてもらっていた。

「タップ」を「カップ」と言い間違えたり、30秒前の同じ作業を忘れてしまったり、カメラレンズを指でずっと隠してしまったり。終始、妹たちと爆笑していた。ちなみに、ばあちゃんは笑いすぎて入れ歯が飛び出た。

この光景を見て、思ったことがある。


誰のためのUX

1年前、ばあちゃんから「iPadがほしい」と言われ、イメージしたのは高齢者の中でもデジタルを使いこなしている方々。

たとえばミゾイさんとか、82歳でアプリ開発者の若宮さん。


ここまでは行かなくても、今までデジタルに触れて来なかったばあちゃんが、デジタルに触れれたらなと思っていた。

それがばあちゃん的にはいい体験だと思っていた。

たしかにネット検索、YoutubeやTwitterを使えればまた違った体験ができる。でも今のばあちゃんには全然必要なさそう。

LINEやカメラの使い方、「みてね」の使い方などいろいろ教えてもらい、今は寝る前にひ孫の顔を見れるし、頑張ったらLINEで家族に電話もかけれる。

忘れてもたまに帰ってくる孫たちにちょっと小馬鹿にされながら(入れ歯を飛ばしつつ)笑っていられる。

デジタル体験が楽しいのではなくて、そこから生まれてきた新しい体験

これがばあちゃんとっては嬉しかったのではないか。iPad自体がハッピーをもたらすのではなかった。つまり、iPadを使わせることが目的化してしまっていた。

教えてもすぐ忘れてしまうばあちゃん、説明書を読まないばあちゃんにイラついた時もあった。それは僕が「デジタル体験=楽しい」の先入観があったのかもしれない。

ただこの1年、ばあちゃんの手元にiPadが来て生活に小さな変化が起こったことは確実。

大きな変化(アプリ開発者になる)よりも小さい変化(寝る前にひ孫の顔を見る)のほうが受け入れやすく、十分な体験だったのかもしれない。


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