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緑閃光vol.1 相互評6

こんにちは。緑閃光のnote担当、桃生苑子です。現在愛知県のとある駐車場でぽちぽちこれを書いておりますが、外気温は38度で、完全に保育園なら子供の預かりをお願いできない感じになっております…。令和ちゃんは2歳だから、まだ地球のことをよくわかっていないのでしょうか。梅雨明けのニュースもそろそろ聞きたくなりましたが、まだまだ夏の暑さはこれからが本番のようです。皆様くれぐれもご自愛くださいませ。

ところでシリーズで続けておりました緑閃光vol.1の相互評が、いよいよ今回で最後になりました。瑞坂菜から桃生宛の相互評になります。ぜひぜひ、お読みいただければうれしいです。

桃生苑子「発熱の花」評/瑞坂菜

発熱のくれなゐ帯びてばらは咲くきれいな死体になる明日のため

七首一組の連作の初めは、妖艶な印象でこれから始まるドラマを感じる。

ルール違反かも知れないが、作者の人となりを想うと、違う一面を見られそうで、ドキドキした。緑閃光のメンバーに出会って日の浅い私は、作者と言葉を交わしたことは一度しかない。しかし、この三人での作品集を編むことを楽しみながら挑戦する様子は、様々なやり取りから伝わった。そのことを加味することは、大変失礼なことかも知れない。

発熱も生きているからこその状態で、苦しいことも生きている証。そして生きることは死に向かう過程でもあることを、ばらの開花をもって表現する。テーマ『咲く』をシビアな捉えた一首と感じた。

吾のなかの燃える炉が爆ぜ子を叩く叩けば焔さらに揺らめく

作者は子育て真っ最中なのだろう。数多くの我が子への歌を拝見する。その中でお子さんを通して自らを詠うこの歌は、作者の中で咲く焔の花、もしくはもだえるような紅蓮の色を感じる。娘から妻、母になっていく女性の身の上の変遷は誰もが辿り、誰もが煩悶する人生の時間だと、子育て経験のない私でも想像できる部分がある。その煩悶や紅蓮の色を知ることで、女性は〈おカミさん〉になるのだと、昔先輩に聞いたことがある。

作者がこの歌を七首に編んだことは、作者の告白であり、挑戦であり、そして希望だとも感じる。

花つけぬ樹の清潔さわたくしは咲くことをまだ諦められず

吾の中…に続く一首。花を付けない樹木。そこを読んで、ああ、と口を突いた。諸説あるだろうが、花水木や桜といった樹木とは違う華やかなひとときを持たない大樹を感じた。

その姿を清潔と詠み、作者は「わたくし」と背筋を伸ばし咲くことを諦められないと続く。

大樹の神神しさにも似た様子に憧れても、自分はまだ花を咲かせたい思いがあると言い切るる。初めの発熱…の歌に戻るが、そこの死に向かって生きる姿を見つめ、吾のなか…に、自らの焔を認め、そしてここで自らの希望や欲望を隠さず言い切る。連作をもって表現する。一首屹立の短歌の情念を増幅し伝える手法に、今はただ唖然としている。


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