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時流を読み、大局で考える。そのために必要なのは乾ききった理性である。

今回の新潟&金沢滞在にあたり、1冊だけ紙の本を持参した。司馬遼太郎の長編時代小説『峠』の中巻である。幕末の混乱期に活躍した越後長岡藩の家老・河井継之助を主人公とした歴史小説で、中巻では主に大政奉還から戊辰戦争に迎う時期が描かれている。600ページ近いがようやく読み終えた。

この『峠(中巻)』の中で、主人公の河井継之助が、かの有名な福沢諭吉と対面して食事をするシーンがある。大政奉還後、薩長が官軍として江戸に進軍し始める少しだけ前の時期のことだ。このときの2人の対比がものすごく考えさせられた。

2人とも、時流を読み、大局を見極められる、大変に視座の高い人物だったことは間違いない。西洋の発展ぶりと祖国の現状を冷静に見定め、徳川家と薩長官軍のどちらが覇権を握ろうとも、身分の区別などない国家社会になることを見据えていた。だが、双方の導き出した答えは異なった。そのことが『峠(中巻)』にはこう書かれている。(引用する)

 他はおなじといっていい。
 であるのに、継之助は福沢とおなじ結論に到達できなかった。
「おなじ結論」というのは、「徳川家や藩の崩壊などどうでもよいではないか」ということであった。
 福沢にすれば、どうでもよい。
「旧勢力が、世の中を保てなくてひっくりかえるのは歴史の道理であり、ひっくりかえってくれてこそ社会の幸福になるのだ。こんど国をたてるのは薩長であり、これはずいぶんいかがわしい連中(公卿やいわゆる攘夷志士といったふうの過激な西洋ぎらい)も入っている、期待できるものかどうかわからぬが、とにかく世の中は裸の人間一人々々の世の中にむかいつつあり、それへむかわせなければならないのだ。そのときにあたって、徳川家がどうの藩がどうのと世迷いごとをいっているのは、どうにもおかしいよ」
 ということなのである。しかしこの点になると、継之助は福沢とまったくちがってしまう。
「私は世迷いごとのほうですよ」
 と継之助も福沢にいった。
 継之助にとってもっとも大事なのはその世迷いごとであった。福沢は乾ききった理性で世の進運をとらえているが、継之助には情緒性がつよい。情緒を、この継之助は士たる者の美しさとして見、人としてもっとも大事なものとしている。

出典:峠 中巻(425〜427頁)

その後の運命は読まなくてもわかる。福沢諭吉は紙幣の顔になるほど世に名を残し、一方の河井継之助はほとんど名を知られることなく歴史に埋もれた。同じように時流を読んで大局で考えられた人物たちの差は、何を大事にするか、その志・価値観だけだった。


儒教の考えを尊び、藩の存続を最重要に据えていた河井継之助。
蘭学の考えを経て、社会全体の最適解を求め続けた福沢諭吉。

どちらの価値観も間違いではなく、どちらも正解ではないのだろう。結局のところ、最後は「自分がどう在りたいか」という禅問答に真正面から向き合い、自分で答えを探し求めるしかないのだと思う。


大政奉還から約160年。日本史の「80年周期説」によると、今まさに大変革期を迎えているらしい。確かに世界のルールが変わり始めた空気ではある。

そんな今、僕らが情緒的に捉えてしまっているものはないだろうか。

明治維新の混乱期に河井継之助が「藩の存続」にこだわったように、「会社」や「家族」を最優先に考えている人もいるはずだ。もしかすると「民主主義」「資本主義」を絶対だと感じている人もいるかもしれない。

きっとそれは間違いではない。正しくもある。だけど、乾ききった理性でも考えてみよう。情緒的にも理性的にも両面から考えた上で、「どう在りたいか」を決めるのが良い。少なくとも、僕はそう在りたいと『峠(中巻)』を読みながら思ったのでした。


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というわけで、今日の記事は以上になります。
この小説『峠』は2021年6月に映画化されるようです。楽しみだ。

では、またあした〜!

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