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エンターテインメントとして一級品。「七人の侍」解説

最高のエンターテイメントとドラマを融合した大傑作。何回見ても飽きませんし見終わった後、しっかりとした満足感を得られます。殺陣のかっこよさやワクワクする設定、一人一人の細かな人間描写、流れるようなカメラワークと、一カット一カットの美しさ(雨や風や群衆など動きがあり綺麗です)がその理由でしょう。

ーテーマー

大きなテーマとしては「褒美を求めずに人を助ける心」だと思う。これこそ侍の意志であり日本人の目指すべきところだと思う。黒澤明は、黒澤映画で共通してる事は何かと聞かれ「人間の普遍的な幸福」と答えたそうです。この映画にもそれは描かれています。
なぜこの映画が世界で評価されてるのかというとこの映画ができるまで日本は情やドラマはあるがアクションがない、海外はアクションはあるがドラマはなかった。アクション映画にもこ
れだけのドラマを盛り込めるんだと、この二つを組み合わせアクションドラマを作り上げたという。
そのため日本映画にもハリウッドにも革命的な映画であり世界で高く評価されている。7人が集まり戦うという設定はほとんどの国で真似され作られている。仲間をよそから集め的と戦うという設定は色々な映画で使われこれからも使われていくだろう。

そして地図や敵の数を明確にし観客に分からせるようにすることで町全体の構造が読み取れるようになりただ無数に人を殺していくだけのチャンバラ映画じゃない細やかな映画を作り上げている。

表紙にもあるように実は百姓生まれの菊千代の魂の叫びが心にズドンとくる。一番すきなシーンです。
村の百姓たちが、落ち武者狩りによって「鎧」や「武器」を手に入れたことに対し、落武者で百姓に襲われた経験のあるサムライたちは、憤慨したのです。それまで可哀想だと思っていた百姓、それを助けるために立ち上がったものの実はその百姓達は侍を殺していた事がわかり状況によっては加害者であり侍の敵であることがわかった。
しかし元々百姓であった菊千代の言葉、要約すると「百姓はずるい生き物だ。落武者狩り、米、酒、食料を秘密に隠してんだ。しかしそんな百姓をつくったのはお前ら侍だ。戦の度にコメを奪い、女を犯し、畑を燃やす。生きるためには必要なんだ」と言い侍達の心が変わる。
侍達が百姓を救おうとする意味は失われている。モチベーションの喪失である。久蔵のセリフ「百姓達を斬りたくなった」がそれを表している。侍達が「もうやーめた」と言って村を引き上げても全然おかしくない。が、侍達はそうせず、引き続き百姓達を救うために命をかける。つまり彼らはこれ以降、理由もなく百姓を助けるのである。

ーもう1つのテーマー

この映画の重要なテーマの一つとして「英雄的行為とは何か」という問いがあると思われるが、単に「地位や恩賞と縁がない」だけでなく、「可哀想な百姓達を救う」という自己満足すらなくなってしまう。それどころか、百姓たちは落ち武者狩りで侍を殺したことがあり、6人の侍達がほぼ全員落ち武者狩りで百姓に追われた経験があることが暗示されているので、つまり、彼らはいわば自分を殺そうとした百姓達を命をかけて救う、という行為に携わることになる。この連中は侍達からすれば「褒美もなく危険を冒してまで救う価値なし」なのである。しかし彼らは自分の中にある「サムライ」の倫理にしたがっているのだ。唯一褒美としてもらっていた白米もみんなに分け与えこの時点で本物の侍になったといえる。自分で自分に課した「使命」をあくまでやりぬくのである。

いつの時代も、同じ境遇の者同士じゃないとわかりあえないという悲しい現実です。

「この戦......やはり敗戦だったな。いや......勝ったのは......あの百姓達だ......儂達ではない」

 村人は笛を吹き、太鼓を叩き、陽気に歌い、そのリズムに合わせて田植えにいそしんでいる。野武士との戦いで死者を出しながら、早くもそれを乗り越えようとして、これからの日々、これからの生活に向かい、大地を踏みしめている。それにこの戦いで一番成長したのは百姓達だった。生き残った3人の侍はというと、その様子を微笑ましくどころか硬い表情で眺めている。侍たちには気持ちを切り替えることができない。勘兵衛の台詞は、出会った時とはまるで別人のような村人のバイタリティを目の当たりにし、己の存在のむなしさを思い知ったところから出てきたものである。生き残った侍の背景には4人の墓がある。4人の死は勘兵衛たちの背に重くのしかかっている。村人に感謝をもって見送られることもない侍たちが進む道は、いわば過去を、死者を引きずる道であり、明日に生きる村人とは逆の方角にあるのだ。そして戦いが意味を持つのは、守るもの(田植えや、収穫や、歌や、日常生活)、自分が根をはって生きる場所があればこそである。侍達にはそれがない。だからこそ、守りたいものを守りきった百姓たちの「勝ち」なのである。

この映画の結末で二人の重要なキャラクターが死ぬ。久蔵と菊千代である。おそらく最も人気のある二人だろう。この二人を死なせることで命の大切さや戦争反対のメッセージも込められている。

この映画は実際に昔侍を雇った村だけが野武士に襲われず助かったという実話を基に脚本を書いてるそうです。

昔の日本映画の良かった点の一つとして水の使い方がうまかったとのこと。西部劇はカラカラのハレノヒばかりで雨が降らなかったため黒澤は雨で対抗したとのこと。そして人が切られ死ぬシーンでスローモーションを使ったのは映画市場これが初めてだとのこと。

矢の刺さるシーンは矢をパイプ状にし中に糸を通し標的につける。本物の矢を使うので役者に板を挟んだのだが撮影中に一人怪我をするぐらい命がけだったとのこと。

ちなみに七人の侍達の内四人が死ぬが皆鉄砲で打たれて死んでいる。

七人の侍達は皆当時活躍していた名優であり、黒澤作品には一度は顔を出した事がある黒澤明の先鋭達であり黒澤明にとっての七人の侍でもある。昔侍は実際に用心棒として雇われ食い繋いでいたそうです。

あともう1つあの伝説的映画のゴジラも同じ年に公開されました。

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