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100年を描いたドラマから、人生の長さを学ぶ。

連続テレビ小説 第105作『カムカムエブリバディ』の全137回の放送が終わった。

今回の "朝ドラ" は挑戦的な作品だった。通常、主役は1人であり(演じる俳優さんは幼少期や老年期で変わったりする)、彼女/彼の半生を半年かけて描くのが通例になっている。しかし、今回の題材は "ラジオ英会話" で、ヒロインは「3人」。そして描く時代は1925年から2025年までの「100年」にも及ぶのだ。

<番組紹介(一部引用)>
1925(大正14)年、日本でラジオ放送が始まった日、岡山市内の商店街にある和菓子屋で、女の子が生まれた。名前を安子(上白石萌音)という。

安子、るい、ひなたと、三世代の女性たちが紡いでいく、100年のファミリーストーリー。安子の娘、二代目ヒロイン・るい(深津絵里)の物語は、昭和30年代の大阪から始まる。るいの娘、三代目ヒロイン・ひなた(川栄李奈)の物語は、昭和40年代の京都から始まる。

昭和から平成、そして令和へ。三世代ヒロインは、その時代時代の試練にぶちあたり、ときに、世間や流行から取り残されながらも、恋に、仕事に、結婚に、自分らしい生き方を、不器用ながらも、それぞれが違うあり方で、見いだしていく。

そして、3人のかたわらには、ラジオ英語講座があった。

https://www.nhk.or.jp/comecome/about/

今回はじめて私は、放送を録画して半年間かけて朝ドラを見た。これまでは、リアルタイムではなく、NHKオンデマンドなどで一気見していたのだ。しかし、今回はじめてリアルタイムにドラマに伴走する経験をしてみると、朝ドラを見続ける楽しさ、さらには改めて様々な長さのドラマを見る楽しさを改めて存分に浴びてしまった。

「半年間も同じドラマを見るなんて私にはできない」という人もいるかもしれない。けれど、私は今回確信した。朝ドラの魅力はこの "長さ"にこそあるのだ。

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今や無料で際限なく様々な動画が楽しめる時代である。ほとんどの人が毎日何かしらの動画を見ていることだろう。世の中には沢山の尺で描かれる物語があり、私たちはそれを様々な時間配分で消費する。

CM:15秒〜30秒の映像を15秒から30秒で見る。
長編映画:90分〜180分程度の映像を90分〜180分で見る
連続ドラマ(リアルタイム):約600分(60分×10話)を3ヶ月かけて見る
朝ドラ(リアルタイム):約2055分(15分×137話)を半年かけて見る

こう並べてみると、朝ドラがいかに圧倒的な時間量だということがわかる。ドライな言い方をすれば1年間の可処分時間の消費量がすごい。

しかし一方で、だからこそ膨大な時間をかけて物語を描くことができる。朝ドラは15分で必ずオチがつくお話を100回以上続けることで、主人公の幼少期から大人になるまで(作品によっては主人公の死まで)を描く作品が多い。約2000分以上使って誰かの物語を描くことではじめて伝えられるメッセージは実は沢山ある。

まず、朝ドラで起きる問題は、なかなか解決しない。今回の朝ドラも三世代を描いたが、厄介な問題が長い時間解決しなかった。

例えば、第1話から登場する初代主人公の兄は、実家の和菓子屋を継ごうとせずに父と仲違いして、戦争から帰ってきてもまだ家族に迷惑をかけて、物語後半になってもその償いをしようとしなかった。「こいつ許せへん」と思った視聴者も多かったのではないだろうか。私もその1人だった。

物語終盤、やっとその流れに変化が見えるのだが、なんとそれが117話である。どんだけ引っ張んねん。おそらくわだかまりができてから40年ほど経っている。物語の主題である安子・るい親子の物語が解決するのは更にもっと長く、50年〜60年後だ。

しかしその長さの分だけ、いずれの登場人物も後悔を抱えて生きていて、ドラマの中ではその年月を含めて語られる。

長い年月を描く朝ドラの魅力は、そういった、石の角が削られていくようなスピードで、じわじわとわだかまりが解決されていくことではないだろうか。年齢も、環境も、それに伴って感情や表情も、わだかまりが生まれた瞬間から遠く離れた姿で、もう一度手を繋ぐことができた日を描くことができる。

例えばそれは、2時間の映画では詳細を描ききれないかもしれない。連続ドラマでも、誰かの人生の一部分を切り取らざるを得ないかもしれない。しかし、朝ドラは2000時間以上をかけて、登場人物の姿を私たちのこころに詳細に書き込みながら、大事なその一瞬を描いてくれる。

さらに言えば、朝ドラの主人公と登場人物は、長い年月の中でコロコロと関係性が変わっていく。例えば、二代目主人公・るいの知人であるベリーちゃんは、「トランペッターのファン→恋敵→頼れる女友だち→ママ友→やっぱり頼れる女友だち」と関係性を変える。別の作品だが、『カーネーション』では、ほとんど家族のように慕っていた人から絶縁を申し込まれ、長い年月を経て関係性を修復する事例もある。心強い味方になったり、顔を合わすのも気まずい仲になったり、何度も入れ替わる。それもまた、長い年月を描いてこそだ。長い人生の中で、一度敵になった誰かも、心を許せる友に変わることがある。逆もまた然り。

短い物語では、敵は改心する暇もなく倒されるし、過ちは過ちのまま終わる。朝ドラを見ていて救われるのは、近視眼になりがちな私たちの毎日の中で、本当は長い年月をかけて変わっていく物事があるということを感じるおかげで「また、人生のどこかで、手を繋げる日が来るもんだよね」と思えるところかもしれない。

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"『カムカムエブリバディ』は "何かを成した人" よりも "成せなかった人"が出てくるドラマである" という表現をしている人もSNSでしばしば見かけた。朝ドラは歴史に残る  "成し遂げた"誰かをモデルにした作品も多いので、それはこの作品の一つの特徴と言えるかもしれない。

更に踏み込めば、私はこの作品はむしろ『過ちの物語』だったのではないだろうか、と思う。何より、100年かけて描いた大きな話の流れは、「すれ違っていた親子の再会」だった。さらに、とある発言を後悔している雪衣という人物に、二代目主人公・るいが「もう、自分を責めんといてください」と言った後に言うセリフがある。

「みんな間違うんです、みんな」

そう、みんな間違える。これは、自らも過ちをおかして母との時間を失ったるいだからこそ言えるセリフであり、それはつまり、物語を端的に表す表現だったのではないだろうか。

現代は、間違えたら、もう立ち上がれないほどに叩かれる時代だ。あるいは、間違えないようにしていたはずなのに人生のあまりにも早い段階で「勝ち組」「負け組」、または「上流」「中流」とレッテルを貼られる時代でもある。

けれど、本当は、みんな間違える。だけど、間違えたって、長い時間をかけて、また巡り会える。手をつなぐことができる。

過ちをおかしたら終わりじゃない。仲違いしたらもう会えないわけじゃない。諦めても試合終了じゃない。シンデレラになるチャンスは一度だけじゃない。

長い長い物語は、そんなことを教えてくれる。

私たちの人生も、ちょうど100年ほどある。

世代を超えた物語は "大事な人によって、大事な思いが受け継がれていく" の尊さも教えてくれる。初代主人公・安子の親から受け継がれる「あんこ(を美味しくつくるため)のおまじない」は100年ずっと受け継がれている。戦争中、安子の父が戦争孤児に伝えた、逞しく生きる大事さは、一つの事業を創った。子供に「日向の道を歩いて欲しい」という安子の思いは、二代目主人公・るいの運命の相手を引き寄せ、三代目主人公・ひなたの名前になり、ひなたの会社の名前にもなった。思いは1人の人生の長さをも超えて、長く長く生きていく。

人生は3時間の超大作映画よりも長い。連続ドラマよりもまだ長い。だから、悲しい朝も、憤る夜も、やるせない日も、エンディングはまだ先だ。

何者にもなれなくても、人生は続く。何者かになってしまっても、人生は続く。そんな長い人生がくれる救いに、あまりにも長いドラマは気づかせてくれる。



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