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この曲を聞くと、思い出す


どうして、忘れられない恋の曲があるのだろう。

かなわない恋なんて、すぐに忘れてしまったほうがいいのに、かなわない恋の歌がいつまでも人生に鎮座するのはどうしてだろう。

忘れて欲しい恋があるのに、聞くたびにその曲がその恋を思い出させるのはどうしてだろう?


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彼に出会ったのは、目黒で開催された友人の誕生日会だった。
偶然隣に座った私達だったが、そもそもが共通の友人の誕生日会だったからか、共通の知り合いも多く、同年代なこともあって共通の話題も多く、話が盛り上がるまでに時間はかからなかった。

初対面の印象は、”真っ白な人”。見た目は全くと言っていいほど特徴がなく、基本は聞き上手だから相手の話をどんどん吸収するのだけど、その話によって自分はまったく影響を受けることはないような、いつまでも真っ白な人だった。私はその、相手が全く自分に擦り寄ってこないことが逆に心地よくて、お酒とともに、言葉をスラスラと吐き出した。

「U子のInstagram、めちゃくちゃオシャレなんだよ〜」

その時も共通の友人の話題をしていて、彼がU子のアカウントを見つけようと、Instagramを開いたのだ。彼が、検索画面を開いて、検索窓をタップすると、一瞬、検索履歴が見える。

A子と、A子の読書アカウント。

検索履歴の上位に並んでいたのは、数年前までよく飲んでいた、同じ業界で働く友人のA子だった。小柄で、いつも笑顔で、長い黒髪のA子。私よりもずっとふんわりした雰囲気のA子。

何気なくA子について、彼に聞いてみようかな。


そう思っているうちに、彼からA子について聞いてきたのは、誕生日会が終わって二軒目、恵比寿の小さなバーでふたりで飲み直しているときだった。

「そういえば、A子とともだち?」
彼は、まるでそれが本題みたいに、少し力んだ声で聞いてくる。
「うん。たぶん、2~3年前?までよく飲んでた。最近は私が忙しくてあんまり会えてないんだけど」
「そうなんだ」
「……A子とともだち?」

最後の一言は、自分で聞いたのに言わされた気がした。彼は、「あー、うん」と言いながら、わざとらしくラフロイグを喉を鳴らして一口飲んで、バーのカウンターにグラスを置くと続けた。

「昔付き合ってたんだよね」

あ、やっぱり。

「もう、3年も前だけど」

3年も前なんだ。3年も前。待て待て。じゃあ、ずっと、3年も?
この人は何回A子のInstagramを検索してきたのだろう。どこにいたってその姿をインターネット上で見つけられる現代で、誰かを忘れずに思い続けるのは、たしかに簡単なのかもしれないけれど。真っ白な彼が誰かに執着するのは、少々意外ではあった。彼の3年間に思いを馳せるのと同時に、彼がそのBGMのように、A子との話をしはじめる。

自分の一目惚れだったこと。2回目の告白で付き合えたこと。1年くらい付き合ったこと。最後までA子が自分のことを好きだったのか定かではないこと。だけど自分にとってはいい思い出だと思えていること。

「今はさ、A子彼氏いるんでしょ?それも知ってる」
「ふうん」
「今はもう、いい友達ってかんじなんだよね」
「そう」

相手は私の相槌に興味などないだろうから、適当に答えた。彼は私に聞かせているわけではないのだ。今、彼が語りかけているのは、私よりもどちらかといえば、A子だろう。

昔の彼女を褒める男に悪いやつはいない。悪口を言う男よりも数百倍好感が持てる。
それでも、バーのもったりとした夜の空気とアルコールの香りが、夜の輪郭を曖昧にしている中、はっきりと嫌な気持ちになっている自分に気づいた。

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はじめて彼から「366日」の話を聞いたのは、付き合って半年で同棲を始めた部屋のリビングで、張り切って買ったソファに並んで深夜の音楽番組を見ているときだった。

テーマは「失恋ソングランキング」。HYの366日は、その中でも1位にランクインしていた。リリースは2008年。確かに、同世代の友だちは、みんな失恋した時に、この曲を聞いていることをわかりやすく個人ブログに書いたものである。”今日の一曲”とか言って。

「これ、元カノと別れた時、めっちゃ聞いたわ」

彼は私の肩に手を回しながら、画面をじーっと凝視してつぶやく。

「なにそれ、高校生の時とか?」
「いや、全然オトナになってからだね(笑)別れた時、失恋ソングのプレイリスト探してわざわざ聞いたら、ハマっちゃってさ」

当時すでに会社員で、1年付き合った彼女と別れた時に聞いたんだよね。まあ俺の一目惚れで付き合っただけだから、大した恋愛じゃないんだけど。

彼女になった私に気を遣っているのか誰とは言わなくなったけれど、明らかにA子の話だった。

「そう」

私は、あの夜みたいに呟いた。366日。テレビでミュージックビデオが流れている。

366日は、忘れられない恋を真っ直ぐな言葉で表現した曲で、彼が話さないA子への感情が、歌詞を知るたびに耳から私の心に流れ込んできて、心臓が冷たくなった。

別れた今も、忘れられない人を想う曲。癒えない痛みを撫でる曲。

彼は今もこの曲に自分の心を添えて聞いているのだろうか。感情が脈打つのだろうか。忘れられない恋の曲は、どうしてあるのだろう。忘れられなくなるだけなのに。思い出してほしくない人だっているのに。

彼は366日の紹介が終わると、テレビから目を離して、スマホを片手で操作していた。


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私は、366日をかき消すようにして、彼と一緒に音楽を聞いた。カラオケで一緒に歌を歌い、部屋でなんとなく音楽を流し、お互い好きなアーティストの新曲をシェアした。

私たちの曲をたくさんつくり、私たちの曲をたくさん聞いてほしかった。

なのに、箱根まで車を走らせて行った日帰り温泉の帰り道、ドライブで彼のスマホから音楽を流していたら、「366日」が流れてきたものだからぎょっとしてしまった。その時私達は海辺を滑るみたいに走っていて、夕暮れのオレンジが海に溶け出していた。秋風。ああ、なんて感傷的になるのにぴったりなんだろう。

「あ、この曲、元カノの曲じゃん?」

耐えきれなくて私から言った。ここで忘れたふりをして黙っているほど、行儀よく生きてはいないのだった。「あー」と、半分笑った彼の声が、窓を開けている彼の運転席から流れてくる。

「そうだねー、その話したっけ。でも、もう今となっては、自分がどれだけあの頃から遠くに来たかわかる曲になっちゃったね。こんな風に、恋してたときもあったわ」

一瞬どういうことかわからなかった。さらに少し考えてみてもそれが良いことなのかわからなかったから、「どういうことよ(笑)」と窓の外を見ながら言った。彼が「んー」と言って言葉にしない数秒間、体の奥から紙をくしゃくしゃに丸めるときみたいに騒がしい音がした。彼は運転をしたまま、「この頃が昔になるほど、今一緒にいれる時間が楽しいし、俺を変えてくれたってことだよ」と答える。
「そう」「おい、喜べよ(笑)」「……よっしゃ」「なんだそれ(笑)」彼のチラチラとした目線を運転席から背中で感じていたが、私はずっと、道路にひかれた白線を見ていた。自分がどんな表情をしているかわからなかったけれど、いずれにしても見られたくなかった。

「もう、この曲変えよ」
彼のスマホを手にとって、プレイリストの中から良さそうな曲を探す――ふりをして、ちらっとInstagramを見てみた。その検索履歴には、もうA子はいなかった。

次の曲には、夏に一緒に行ったフェスで夕暮れに流れていた曲を選んだ。

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次に「366日」を聞いたのは一年と少し経った頃、クリスマス直前の12月、山手線新宿駅の14番ホームで電車待ちをしているときだった。聞いた瞬間、反射的に身体が反応するのがわかった。景色がぼやけて聴覚に感覚が集中するのがわかる。今ではもう、昔好きだった人が、昔好きだった人のために聞いていた曲になったというのに。

私達は、結局別れてしまった。理由は、私の仕事が、恋愛をしている隙間もないほどに忙しくなったから。そこに愛情の量の変化はなかった。ただ、人生の歯車が、噛み合わなかったのだ。そして私達は、片方の歯車を歪ませるのではなく、歯車を取り替えることに決めただけのことだった。

「忘れられない恋の曲があるのは、どうしてだろう?」

あの頃何度か誰にでもなく問いかけた言葉だけれど、今となっては少しわかる気がする。それはきっと、過去の自分を体よく”真空保存”しておくためなのだ。今を生きる自分とは異なる輝きのまま、今を生きる自分とは切り離して。

女の恋は上書き保存というけれど、この曲を聞いて見事に上がる体温は、その曲が鮮明にあの頃の季節を思い出させた結果によるものだろう。

「好きだった」。言葉にしてみれば5文字で完結してしまうこの感情を、言葉を尽くして、メロディを尽くして、歌声を尽くして、音楽は語ってくれる。

そして、「好きだった」は「好き」とは大きく異なって温度がないからこそ、キラキラしていて、美しい。過去に轟々と渦巻いていた生の感情は、遠く離れてみれば、そんなものが自分の中に存在していたことが、誇らしくさえなるような気持ちになる。どんな恋も、本気でした恋は、人生の宝物なのだ。それは血となり肉となり、仕草となり言葉となり思考回路となり感情となって、私達とともに生き続ける。忘れられない恋の曲は、そんな熱を帯びていた自分の大事なピースを思い出させてくれる。そんな曲もまた、人生とともに音色を変えながら生き続ける。

誰かの忘れられない恋の曲が思い出させてくれる、私の忘れられない恋。

そう。そんな恋が私を変えてくれて今がある。

私はいじわるだから、どこかで彼が、私と聞いた一曲とともに、私を何度も思い出してくれればいいな、なんて思う。真空保存された私達の思い出は、やっぱり美しくて、だから彼にも、その美しさを時折思い出しながら、今の自分からは体よく切り離して、だけどやっぱり時々覗いて。人生を生きていって欲しい、と思うのだ。

待っていた電車は、人が車両いっぱいに乗りすぎて、とても乗り込む気がしなかった。まあいいや、次の電車も2分後にやってくる。

時々蓋を開けたくなるような宝物の記憶。それは、時々、音楽とともに保存されている。人生にはいくつも恋がある。そう思えるのはオトナの醍醐味だ。

この小説は、 #アイのうた202i という企画に寄せて、執筆させていただきました。

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