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元気なふり、しなくていいんだよ、ゴールデンウィーク。

高校時代好きだった人がある時、学校に来なくなったことがあった。

私と同じ進学校のトップ層。成績優秀、ユーモアがあって、イケメンじゃないけど賢そうな顔をしていて。男女ともに好かれてた。

なのに突然、なぜ?

彼の誕生日に「お誕生日おめでとう」とメールを送ったけれどそれ以上は何も送れなくて、だからインターネットで彼を探した。いくつものリンクを踏み越えて、文字列から文字列を推測しては検索して。

彼がよく使っていたユーザーネームのひとつが運営者の個人サイトを見つける。簡単なプロフィールと、「24H」と書かれた、スレッド式のつぶやきページ。海外サッカーが好き、勉強のストレスを感じてる、アジカンが好き。

―――彼だ。

彼の一行のつぶやきが書かれているページをひらくと、「ねむい」「学校に行きたくない」「2-0で今日は勝てた!」の文字。ネットでは当たり障りないことをつぶやくんだよなあ、そういうつまんないところもいい、まっすぐで。賢くていつも澄ましてるのに、本当はただの少年みたいに無邪気なところがかわいいのだ。

だけど、つぶやきをするすると読み進めて、"つぎへ"をあたりまえのように押して2ページ目、とっさに息をするのを忘れた。

「元気なフリするのに、疲れた」

元気なフリって。昼ごはんの時間にくだらなすぎる話で大笑いしてた時もそうだったのかな。男子たちで教室のカーテンにくるまって遊んでるときも?授業中に先生と戯れてたときも?私に宿題教えてくれたときも?

でも、本当は私にもわかる。小さい教室で、わたしたちはどこにも行けないから。期待されたワカモノであるわたしたちは逃げたら終わりだから。その中でうまくやっていこうとすることは、誰かの気分に巻き込まれることの繰り返しだから。

私は彼の、何でも卒なくこなすところが好きだった、誰とでも仲良くできるところが好きだった、いつでも穏やかなところが好きだった。そんな自分はつまらない人間だなと思った、私だって全部やめたかった、でも私は何も変わらなかった。

私はずるい人間なので、その個人サイトを卒業するまでずっとこっそり見続けた。半年くらいで更新されなくなったけれど。

彼は数ヶ月後、何事もなかったかのように教室に帰ってきた。

***

おとなになった今も、「元気なフリ」について時々考える。

世の中の集団は、ゆるやかな「元気なフリ」の相互補助で成り立っていて、だけどそこには明確なルールがないから、誰かが時々疲れたりもする。

最近この「元気なフリ」をよく見かけるようになった気がする。他人にも、自分にも。

考えてみれば当たり前かもしれない。家の外に出れば、"異常事態"がのさばっていて、だけど日中は「できるだけいつもどおり」を求められるのだから。

小さなことばに傷ついたり、自分だけがとびきり孤独に感じたり、未来が見えなかったり、見えたとしても見たくないものだったり。

私たちはすごくえらい、それなのに、毎日ふつうのふりしてるのだから。


世間は明日からゴールデンウィークだそうだ。

もちろん、そうでない人もたくさんいるだろう。けれど、1日でも休める人はどうか、ゆっくり休んでほしい。

頑張っておしゃれな料理をつくるとか、大掃除するとか、勉強するとか、そんなものは「健全にやすむ」ことに比べたら後回しでいいのだ。 

おしゃれじゃなくていい、キラキラしてなくていい、おもしろくなくていい、新しくなくていい。元気じゃなくていい。

多くの人にとって、慣れない毎日でこわばった身体がほぐれて、元気じゃない自分が、大きく伸びができる大型連休になればいい。

わたしもたったひとりで、元気じゃないじぶんを味わう休日にしようと思う。

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