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大豆田とわ子の音楽は、わたしたちの未来を優しく照らす

あんなに怖かった30代が、楽しみになっている自分がいる。

数年前までは、出産から人生を逆算して、26歳で運命の相手と出会いたがっていた私だが、この夏29歳になろうとする今となっては、こんな気持ちでいっぱいになっていたことなんて、すっかり忘れていた。

それは、同世代の友人が30代になって、それぞれステータスがバラバラでもみんな充実している姿を見ているからかもしれないし、世の中が「結婚」と「出産」を全員参加のスタンプラリーのように押し付けてこなくなったからなのかもしれない。とにかく30歳目前になった今は、「結婚しなくては」だとか、誰かが決めた規範に乗っかる未来を望むのではなく、自分が心地よい未来を探せるようになった。しかし、そうするとそれはそれで自力で将来を見るために少々胆力が必要で、未来はまたしても見えづらくなるのだった。

そんな時、同世代の友人たちと久しぶりに熱狂できるドラマにたどり着いた。『大豆田とわ子と三人の元夫』だ。

<ストーリー>
大豆田とわ子はこれまでに人生で三度結婚し、三度離婚している。「あの人、バツ3なんだって」「きっと人間的に問題があるんでしょうね」そりゃ確かに、人間的に問題がないとは言わない。だけど問題のない人間なんているのだろうか。離婚はひとりで出来るものではなく、二人でするものなのだ。協力者があってバツ3なのだ。そして今もまだ、大豆田とわ子は三人の元夫たちに振り回されている。何かとトラブルを持ち込んでくるのだ。どうやらみんな大豆田とわ子のことが好きで嫌いなのだ。果たして、四人はそれぞれの幸せを見つけることができるのか?
(引用:https://fod.fujitv.co.jp/s/genre/drama/ser4u44/

大豆田とわ子は、”オトナのための、少女漫画”だと思う。

3人の個性的で魅力的な元夫たちは、未だ全員が大豆田とわ子のことを大事に思っているし、本人は仕事で立派な地位を築き上げ、娘や親友というかけがえのない人もいる。そして、新たに魅力的な男性と出会うチャンスもある。

友人との突然の別れや仲間とのトラブルなど、年齢を重ねれば出会う人生の苦味を添えながら、しかしそれは甘美に描かれている。人生の中盤にあるドラマチック性をぎゅっと煮込んだような味わいのドラマなのだ。

そして、このドラマの劇伴音楽集である『Towako's Diary - from "大豆田とわ子と三人の元夫"』は、そんな成熟した甘みが香るこの物語を、”自分の物語”にもしてくれるような作品だった。

オトナの少女漫画を彩る、上質なクリエイティブ

『大豆田とわ子と三人の元夫』が見ていて楽しいのは、ストーリーはもちろん、それを彩るアイテムたちが素晴らしいことも一役買っているだろう。

彼女が纏うファッションやインテリアはInstagramが7万フォロワーになるほど人気だし、毎回変わるエンディング曲も話題だ。そしてそれは、劇中の音楽でも期待を裏切らない。

『Towako's Diary - from "大豆田とわ子と三人の元夫"』を手掛けたのは、宇多田ヒカルの『少年時代』『Beautiful World(Da Capo Version)』、米津玄師の『感電』『パプリカ』の編曲を担当し、この夏には細田守の新作映画『竜とそばかすの姫』の劇伴も担当する坂東祐大さん。

その他にも、グラミー賞ノミネート歌手・グレッチェン・パーラトや、くるりや米津玄師と作品作りを行う、坂東氏と同じく東京藝大出身のドラマー・石若駿氏など、目眩がするほどの豪華なキャストで制作されている。

さらに、通常、ドラマ本編内の音楽は、「楽しい音楽」などのオーダーを参考に先に音を作り、それをドラマの中に当てはめる手法で活用されるが、今回は、脚本ができあがった状態から音をつけるという手法が行われているという。同じ曲が使用される場合も少し響きが変更されていたり、「ドラマを引き立てる音楽」がこれ以上なく丁寧に作られているのである。キャストから制作手法まで、とにかくこだわって作られている音たちなのだ。

私たちの感動の裏には、劇中の音楽までも、隙なく丁寧に作られているプロセスがあるのである。

3回結婚して3回離婚した。でも、幸せを諦めない


主人公の大豆田とわ子は、40歳のバツ3女性。

Twitterでそんな女性がいたら、誰かが心無い言葉を投げそうだ。あらすじのように、「人間的に問題があるんだろう」だとか、もっとひどい言葉もあるかもしれない。けれどこのドラマでは、そんな彼女の姿を笑ったりしない。それぞれの結婚をした元夫たちも大豆田とわ子も愛おしく描いている。作品の中でとわ子は自立していて、Twitter上ではむしろ、「とわ子になりたい」という言葉が飛び交う。過去に、離婚を繰り返す中年女性をこんなふうに思わせてくれる作品があっただろうか。

音楽においても、大豆田とわ子の日常シーンでよく流れていた音楽はまさに『 Monday (Variation 1)』というタイトルの曲だが、それはキラキラとした旋律からはじまり、穏やかに軽やかに日常を鳴らしてくれる。何より、どんな時もこのドラマは、『#まめ夫 序曲 〜「大豆田とわ子と三人の元夫」〜』という、とてつもなく明るいイントロの曲とともに、おちゃめに彼女の一週間を紹介していくところからはじまるのだ。

第二章の冒頭、娘が家を出ていった朝、一人でフルーツサンド(パンとフルーツ)を食べている時に流れるのも、グレッチェン・パーラトが穏やかに歌う『Morning』だ。決してその孤独な姿を寂しい音楽で飾ったりしない。

そして、私が好きな一曲が、『Ils parlent de moi』。第一話の一番最初に大豆田とわ子を紹介しながら流れていた曲でもあり、タカナシに出会ったラジオ体操の朝に流れていた曲であり、子供の水遊びを久々に見つめることができた日の曲でもある。『They Talk about me(英訳)』というタイトルを付けられたこの曲は、自分の噂ばかりする街の人達を「寂しい人たちね」と言ってみせる。

Le cuisinier et le grand voleur, Même le banquier plein de secrets Ils ne cessent de parler de moi.
(中略)
Quels misérables hommes vous êtes Tout ce que vous pouvez faire,
C'est parler de moi,
C'est parler de moi

<日本語意訳>
料理人も大泥棒も、銀行員も、私のことを話し出すと止まらない
(中略)
何と惨めな男たちでしょう。
さあさあ、私の噂話でもしてなさい

「バツ3、40歳」。そんな主人公の設定を聞いたときに下衆なドラマを想像した自分が「寂しい人ね」と笑われている気になってくる。そしてこんこんと腹の底から、こんなふうに人生の先輩が描かれている嬉しさが湧き上がってくる。どんな時も、どんな状況に自分が置かれていても、噂の中心で、自分の人生をまっすぐ生きようとする人の膝の上に主演女優賞のトロフィーは乗っかっている。涼しげな歌声がそれを、優しく教えてくれる。

大事な瞬間が増えるたびに聞こえ方が変わる音がある

もちろん、『大豆田とわ子と三人の元夫』は、ただキラキラした40歳を描いたドラマではない。むしろ、人とのつながりや、それによって生じる痛みや別れも描いたドラマである、そして、それなのに、やっぱり見ていて元気づけられる。

劇中曲とともに、様々なドラマのシーンが蘇る。このドラマには、人同士がまっすぐ向き合うことで生まれる暖かさを描いたシーンが次々出てくる。かごめが周りの人間が山に見えると告白するシーンで流れる『GoodNight』はとても優しい音で、聞いていると気持ちがゆっくり横たわるし、『鹿太郎のワルツ』は優雅なのに思い出のようにどこか切ない。

個人的には、私が最も好きな第二話のシーンで流れた『Attachments』が収録されていて嬉しかった。三番目の夫・慎森に焦点をあてたお話だ。特に最後のシーンが最高で、別れた二人が、久しぶりに素直に向き合うところがたまらなく好き。とわ子は慎森に、こう語りかける。

「別れたけどさ、今でも一緒に生きてると思ってるよ」

人は「好き・嫌い」以外の理由でも別れを選んでしまうことがある。その時のタイミング、その時の自分の状況。離れてしまったけど、今でも私の人生の一部だよ、と言いたくなる友人たちを思い出した。そして、人生でこれから何人、こんなふうに思える人に出会えるだろう、と久しぶりに思いを馳せることができた。

別れといえば、この物語のもう一つの別れも忘れてはいけないだろう。お葬式で流された、サヨナラにあまりにもふさわしくない一曲『かごめのお気に入り』はきっと、聞く人によって響きが変わる曲なのではないかと思う。大事な人を失うこと、それでも日常はやってくること、だからふとした時に忘れてしまっていたことに気づいて自分を殴りたくなること。いくつかの別れが頭をよぎって、それはきっとこれから数も増えて、だから聞くたびにきっと、聞く人によってきっと、変わっていく音楽なのだ。

良いことも悪いこともある毎日を愛する

そして、このドラマの重要なシーンで何度も流れるのが、『All The Same』という曲。原詞は脚本家の坂元裕二さんが書かれているという。この一曲は先行配信されていて、すでに聞くことができる。

この曲は、例えば1話ではとわ子の墓参りの後に、元夫たちがブランコで並んでいるシーンで流れるし(元夫たちの可愛らしさが1話から炸裂)、4話では、かごめが「自分にとっては恋は邪魔なのだ」と告白した後に、とわ子が「そう」とだけ答えるところで流れる。7話で流れるのは、お葬式の夜、全て終わったかごめの部屋で、とわ子がかごめの描いた漫画を一人読みながら、ゴーヤチャンプルを食べるシーンだ。

この曲が流れると、物語は次の感情へと動き出す。

楽しいことも悲しみも、まだらに現れる日常。だけど全てそれを経た上で「悪くない」と思える。そんな新たな日常に期待するような気持ちが、イントロを聞いていると湧いてくる。優しい歌声が始まると、未来に期待する自分の気持ちを撫でてくれる。

愛する世界観を、耳から流し込む

耳から流れ込んでくる情報は、心の景色を変える力を持っている。

例えば、仕事に気が乗らない月曜日の朝も、爽やかな音楽を聞きながら出勤すれば、オフィスに着く頃には前向きになっている。海の底のように暗い気持ちのときも、優しい歌を聞いているといつのまにか心が撫でつけられている。

「自分が今、どこにいるのか」。
私達はそれを、聴覚で感じ取っているのかもしれない。雨の音を聞いていれば、雨が降っている世界に自分がいるのだと感じるし、楽しい音楽を聞けば、楽しい世界に生きているように感じる。月曜日に音楽を聞いて気持ちを高めるのも、失恋したときに元気になる曲を聞くのも、なかば自分を騙そうとしていると言っても過言ではないだろう。

『Towako's Diary - from "大豆田とわ子と三人の元夫"』というこの音楽集は、いつだって耳に流し込めば、ドラマの世界へと自分を匿ってくれる。そこでは、「人生に失敗はあったって、失敗した人生はないと思います」ととわ子が言ってくれる。

「オトナになるって悪くない」。すべての曲を聞き終わった後には、ドラマを見た後の感想のような気持ちになる。

『大豆田とわ子と三人の元夫』は少女漫画のようなドラマだ。
それはつまり、私たちに未来の希望を与えてくれる作品ということかもしれない。今まで、私達はあまりにも、自分たちの未来に夢見るようなストーリーを信用してこなかった。でも、『大豆田とわ子と三人の元夫』は夢のようなのに具体的で、ついつい自分のこれまで生きてきた世界に重ねてしまう、憧れてしまう。

何度も人とのつながりに傷つきながらも、周りに助けられながら前に進んでいける物語。たとえストーリー自体はフィクションでも、そこで語られた希望は私達の明日の糧になる。何度離婚しても純粋にまた前を向ける、そしてそれを見守ってくれる大事な人達がいる、大豆田とわ子のようなオトナに、私はなりたい。

そのために、何度でも私は音楽の力を借りて、ドラマの世界にトリップするだろう。音楽は、心の景色を変えてくれる。甘美で実直な未来で頭をいっぱいにすればいつだって、夢想する未来に向かって、今の人生を粛々と歩いていく勇気をもらえるのだ。




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