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旅情奪回 第17回:ホットサンドと仲直り。

いま、自分の中では最高にホットサンド・ブームである。ホットサンドメーカーが家電として登場したのがいつだったか覚えていないが、確か高校生の頃、ときどき母がお弁当にしてくれていた。母は料理上手で、メニューも豊富な人だったが、6年もお弁当作りをしてもらう中で一時ホットサンドをメニューに加えてほしいとお願いした記憶があるから、ホットサンドメーカーは結構昔から存在していたのかもしれない。

しかし世の中での目新しさが薄れるとほぼ同時に、なんとなくホットサンドを食べる機会も減っていったような気がする。その次にホットサンドがマイブームになったのは、2015年のことだ。その当時、『シェフ 三ツ星フードトラック始めました』(しかし、なんと雑な邦題だろう…冷やし中華???)という映画を見て、キューバサンドが食べたくなり、食べられるお店も都内に数軒しかなかったので、それに似せて自分で作ってやろうと思ったのがきっかけだ。

邦題はともかく、この映画は当時の私のツボにハマってしまって、何度見返したかわからない。これまで数々の映画を観てきたつもりだが、個人的には人生で好きな映画10本、には入らなくても30本になら入る、かなり素敵な映画だ。SNSをフックにしている以外、話はいたってシンプルだが、とにかく料理を作る手元の美しさ、鉄板がジュッっと鳴る音、舞い上がるパウダー状のスパイス。画(え)を分かっている人が作る映画だ。脇を固めるジョン・レギザーモの佇まいも味わい深くていい。そして主人公が人生をやり直すマイアミ、あるいはいまひとつ心の通わない息子と「親子互いに育て直し」の旅で立ち寄るニューオリンズの景色が素晴らしい。

もうひとつオマケに音楽がいい。ベタベタな選曲と少しひねったチョイスをうまく挿し込むあたり、ジョン・ファブロー監督のミュージック・ツリーが丸裸になるようで惜しげない。あんなショボい場面でアル・グリーンを使う。マーヴィン・ゲイの"Sexual Healing"が、ブラスバンドで流れる!
ニューオリンズのグリーフワーク(主に「死による別れ」との折り合いをつける全人的作業)は、お葬式ひとつとっても、「行きは沈鬱に、帰りはお祭りで」という感じだという。そういう、原初的な喜怒哀楽に忠実な雰囲気をシナリオとうまく重ね合わせ、ラストはこれまた安心のベタっぷり。それを素直に愛らしいな、ハッピーだな、と思わせるリズムがこの映画にはある。何度観返してもやっぱり、ファブロー監督はこういう映画を作りたかったんだな、という思いと、私自身のセンス、つまり、お洒落な映画や難解な映画、はたまた爆薬多め、魔法や剣が飛び交うような映画、そういうものすべてをひっくるめた時、一番身近に感じられる「ちょうど良い加減」の映画がこんな作品なんだろう、という納得に包まれる。

もっと通好みなキャスティング、もっともっと洒脱で捻じれたコンセプト、救済とオチのないストーリー、セリフ少なめ、アンニュイでスノビッシュな佇まい、そのひとつひとつに蘊蓄を見つけて「オレって分かってるなぁ」と思えるような映画も嫌いじゃないが、結局は自分の原風景に近い、中南米的なありふれた日常の切り取り、無名な人たちのドラマ、おいしいローカルフード、最新じゃなくても生涯大好きなナンバーに囲まれて右往左往生きてる。そういう空気が心地いいのだ。

自分がされるのはともかくとして、どちらかというと映画でも本でも音楽でも、「これ、いいよ」と押し付けるように薦めるのはなんとなく気の引ける私ではあるが、この『シェフ』の時はDVDを数枚買って、弟や友人知人に配ったほどだ。

だいぶ寄り道をしたが、そういうわけで2015年の私は、自分でキューバサンド擬きを作りたいがために、わざわざバウルーのホットサンドメーカーを買って、孤独なるグルメ体験を楽しんでみたわけだが、これまた長くて重たいサンドメーカーが、シンク下で整列してくれないやら、映画みたいな食材は、これまた映画みたいな値段では手に入らないわ、でいつの間にか作るのが面倒になり、苦い挫折感の中で、サンドメーカー自体も引っ越しを機にアウトドア好きの友人にあげてしまった。

その私が、2022年のいま、またホットサンドにハマっている。安価な家電プレートで、どこにでもある食パンにどこにでもあるハムやチーズを挟んで食べている。美味い。別にこれでいいのだ。ようやくホットサンドとも仲直りを果たして、たぶんこの先何年もホットサンドを食べ続けるのだと思う。(了)


Photo by Mary Pahlke,Pixabay


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