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「こだわり」や「おせっかい」と「貢献」のちがいについて

来年早々、法人の内部研修を実施します。社会福祉法人は毎年、人権研修を実施しなければいけません。今、そのテーマを考えています。ひとつ候補に考えているテーマは「こだわりやおせっかいと貢献のちがいについて」です。

私は、障がいのある人が利用する事業所を経営しています。その事業所を利用してくださっている人たちは大変貢献的です。しかし、その貢献的な行動を、「こだわり」や「おせっかい」だとして正そうとすることがあります。ここでいうこだわりとは、決まった行動を繰り返さないと不穏になったり、自分が納得する状態に戻さないと不穏になってしまう行動です。

たとえば、次のようなことがあります。
・窓や扉が少しでも開いていると閉めないと気がすまない
・ボタンや服、カバンのチャックを最後まで閉まっていなければいけない
・下駄箱の靴がきれいにそろっていないといけない
・小さなゴミが気になる
・ペーパータオルなどの残量が気になって都度、確認しないと安心できない
・物の収納が常に同じ場所でなければならない

このような行動が繰り返されると、支援者は「いちいちそんなこと気にしないの」とか「それぐらいいいでしょう」、「余計なことはしないで」などと言ってしまいます。

こだわり行動を支援者が注意すると周囲の利用者も注意をするようになります。すると複数のこだわりを持っている利用者は常に誰かに怒られていることになります。

上で挙げた例はすべて突発的に始まることではなく、毎回繰り返される行動です。つまり予測ができます。さらに、視点を変えれば大変助かる行動ばかりです。

ペーパータオルの残量が気になる利用者は、頻繁にペーパータオルのケースを開けて残量を確認します。支援者はその行動を正そうとして、とても残念な対応をしてしまいました。「頼まれないことはやらないでください」という言葉が胸に刺さりました。

ただのこだわりです、と言ってしまうと、その人の良さが減ってしまいます。しかしその利用者がいるおかげで、ペーパータオルを切らさないですむ、みんなが手をふくときに困らない、そう考えるととても親切な人になります。

「こだわり」や「おせっかい」ととるか、「貢献」ととるか、そこをリフレーミングできるようしなければいけません。目の前にいる利用者が「怒られる人」になるか「感謝される人」になるか、それは支援者次第です。

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