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勇気づけ・ストレングス・モモ(ミヒャエル・エンデ)

03月28日、第4回ちはる塾サークルのオンラインミーティングに参加しました。今回のテーマは「勇気づけ」でした。

昨日は、入院中の私が感じる「勇気づけ」について書きました。今日は、私が日ごろ考えている勇気づけについて書きます。

私の仕事は、障がいのある人が活動したり生活をする事業所の経営です。直接支援に入ることもあります。その支援者向けの研修では、支援技術の一つとして「勇気づけ」の説明があります。しかし、そこではアドラー心理学との直接的な関連性は説明されません。今日は、「福祉サービスにおける勇気づけ」「アドラー心理学における勇気づけ」を結びつけて書きます。

勇気づけとラポール

福祉サービスにおける「勇気づけ」には前提条件があります。それはラポールといい、支援者と支援を必要とするる人の間の信頼関係です。このラポールができていないと「勇気づけ」はできません。また、福祉サービスにおける「勇気づけ」の目標は自立です。ただしここで言う自立とは、自分のことは、何でも自分でできるようにする、ということではありません。

自立の定義は大変難しいです。そこで私は、自立とは自分の課題を自分で解決する勇気、もしくは解決しようとする勇気だと考えます。また、ここでいう課題の多くは自分ひとりの課題ではなく、他者と関係するものがほとんどです。

勇気づけとストレングス

たとえば、利用者の支援において、計画どおりの成果があがらず、困っていたとします。それは利用者本人の生活の問題であり、かつ支援者にとっては業務上の問題になります。それを解決するためには利用者自身が持つチカラ(ストレングス)を最大限に発揮しなければいけません。このストレングスを発揮させること、それが勇気づけにあたります。

貢献

支援者は勇気づけをおこない、利用者は自分のストレングスを発揮して課題を解決します。するとそれは支援者の課題も解決したことになります。それが支援者への貢献にあたります。また、その成果は、実例となり他者の問題解決の参考になります。それは、さらに多くの人への貢献につながります。

福祉サービスにおける「勇気づけ」

福祉サービスの支援者向けの研修では、勇気づけから自立までの説明です。しかし、実際にはしっかりアドラー心理学における勇気づけの方向性、共同体感覚につながっています。

福祉サービスにおいては、「勇気づけ」をすることが目的ではありません。「勇気づけ」をやりすぎるとお節介になります。福祉サービスを利用している人は、何から何まで支援を必要としているわけではありません。常に勇気をくじかれているわけではりません。必要以上の「勇気づけ」は不要です。

また、「勇気づけ」は、「勇気づけをしよう」、と誓ってするものではありません。結果として、相手が勇気をもらえた、と思えたときにその支援が「勇気づけ」になります。意図的に行う勇気づけは相手を操作することになってしまいます。

支援をする前は、その人のそばで一緒に時間を過ごし、その人が必要としているときに必要な勇気づけをするように心がけます。その人が、今、して欲しいことに応えます。

最後に勇気づけの手本になりそうな本を紹介します。ミヒャエル・エンデ作、大島かおり訳「モモ」という童話です。この本の冒頭で、著者は、主人公モモのことを次のように紹介しています。

 モモに話を聞いてもらっていると、どうしてよいかわからずに思いとどまっていた人は、きゅうにじぶんの意思がはっきりしてきます。ひっこみじあんの人には、きゅうに目のまえがひらけ、勇気が出てきます。(中略)ふしぎなことにじぶんがまちがっていたことがわかってくるのです。いや、おれはおれなんだ、世界じゅうの人間のなかで、おれという人間はひとりしかいない、だからおれはおれなりに、この世のなかでたいせつな者なんだ。
 こういうふうにモモは人の話が聞けたのです!

偶然、読みたくなって入院先に持って来ていました。

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