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【戯曲】世界史の授業中に蹴り飛ばされた机と、帰りの電車を待つあいだに交わされた非生産的なコミュニケーションは、いまでもときどき僕の心をほんの少しだけザワつかせる。

暗闇。
舞台上、ピンスポットの光。
ひとりの男が立っている。
男、客席に向かって話し始める。

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そのとき言い合いになったのは「渋谷にヨドバシカメラがあるかどうか」ってう、なんともくだらない話が原因だったんですけど。僕がずっと「渋谷にヨドバシカメラは無い」って教えてあげても、そいつはぜんぜん納得しないんですよ。
いや、だって僕はふだんから渋谷に遊びに行ってたし、ヨドバシカメラがめっちゃ好きだから、東京のどこにお店があるかっていうのはほとんどカンペキに知ってたんですよ。それなのにそいつは「渋谷にもヨドバシカメラはある」って言って聞かないんですよ。おかしいでしょ。

そいつはね、あ、そいつっていうのは、予備校の、世界史の授業を一緒に受けてたヤツで、名前は忘れたけど僕のなかですごくウザいヤツの、人生の歴代でウザかったヤツのトップ10にも入ってくるヤツなんですけど。まあそいつが譲らないんですよ。「渋谷にもヨドバシカメラはある、絶対ある」って。
あの、説明すると電車をね、待ってたんですよ、駅で。同じ方向の電車で、なんか、たまたまその日、予備校帰りのタイミングが一緒で、偶然ホームで話すことになったんですけどね。ちょうどその日の授業で寝てた女の子がいたんですよ、世界史の授業で。思いっきり寝てたらしいんですよ、その子。

僕はまあ、だいたい前のほうの席に座るんで教室の後ろの状況はよくわからないっていうか、結果、その女の子が寝てたことにキレた講師が机を蹴り飛ばして叩き起こしたっていう、そういう話なんですけど。突然話すのをやめた講師が教室のいちばん後ろまで静かに歩いてって、それでガシャーン!とやったもんだから、そりゃビビりましたよね。
で、それでその日の帰りのことだったんですけどね。なんか、さっきすごいことが起きたんだけど誰とも共有できてないっていうか、予備校の浪人クラスだったんでやっぱりなんとなく殺伐としてるっていうか、授業が終わっても別に交流みたいなのが何も無いんですよ。そんなときにたまたま、そいつと帰りの駅のホームで会って「ビビったよね!」って、ようやく「半分こ」できたみたいな、そんな感じで。

でも、なんでかわからないけど「渋谷にヨドバシカメラがあるかどうか」でモメて。あ、予備校っていうのは自由が丘にあったんで、確かめようとすればその足で東横線に乗ってすぐにでも確かめに行けるっていうか、そもそも渋谷にはヨドバシカメラは無いわけだから、確かめるも何も「渋谷にはヨドバシカメラは無い」で済むんですけど。そいつは一向に認めようとしないんですよ。実際、当時もいまも渋谷にあるのはビックカメラとヤマダ電機で、ヨドバシカメラは無いんですよ。
勘違いとかそういうのでね、話がズレたっていうなら別にそんなモメたりはしないんですよ。例えばお互いそんなに知らないことで意見が食い違う、あの国のいっこまえの首相は誰だったとか、あの歌手のメジャーデビューは何年で、最初の何枚までのアルバムがインディーズ扱いだとか。それで調べてみてどっちかが間違いだったら「ごめん、俺が間違ってた、本当にごめん」とか、そういうので終わるわけですよ。

でもね、そのときは明確に、明確にそいつが間違ってるんですよ。俺は日常的に渋谷に行っている、しかもヨドバシカメラが好きで、新宿や秋葉原のお店によく買い物に行ってたんです。渋谷のヨドバシカメラには行かない、なぜなら渋谷にはヨドバシカメラが無いから。
しかもね、そいつはね、突っ込んで聞いたら「俺は渋谷には行ったことがない」って言うんですよ。そんなのおかしいじゃないですか、そんなのおかしいじゃないですか。ありえないじゃないですか。なんで行ったこともない街のことをそんなに自信持って否定できるのか、って。

いや、話が前後するんですけどね、なんで世界史の授業中に寝てた女の子が机蹴られて退場させられた話からヨドバシカメラの話になったかって言うとですよ。あ、厳密に言うと、寝てたことだけじゃなくて、その前からあきらかにサボってたから、その上て寝てたから叩き起こして退場させたって、講師は言ってたんですよ。
その世界史の授業ってのはね、90分が3コマ連続なんですよ、しかもずっとペンを動かしてなきゃならない。テキストにね、ひたすら書き込むんです、講師がしゃべる解説を一言一句、ぜんぶ聞き逃さないで書き込む。それで覚えるんですよ、ただひたすら。

僕はね、そのやり方については正しいとはぜんぜん思えなかったんで、なんだか、いや、すごく疑問だったんで。最初はね、そいつと瞬間的に気が合ったんですよ「世界史、キツくない?」って。キツいでしょ、そんな。歴史の解説を聞き書きで、そもそも文章でびっしりのテキストの行間に、小さい小さい字で書いても書ききれないんですよ。しかも待ってくれないんです。どんどん先に行く。テキストもアタマもぐちゃぐちゃ。そこをね、瞬時にね共感できたんですよ。
むしろ女の子が寝ててこととか、講師が机を蹴り飛ばしたこととか、その音にマジでビビったこととか。そういうのはすっ飛ばして。そいつとはその世界史の授業の進め方の疑問について分かり合える、世界で唯一の同士かもしれなかったんです。

それでも結果的には「渋谷にヨドバシカメラがあるかどうか」ってう、ものすごく単純明快な、ケータイで検索すれば数秒で解決する話題で言い争ってしまったんですよ。実際、ケータイで検索したんです。したんですけどそいつは「その情報は古い」って言い切って、「渋谷にもヨドバシカメラはある」と譲らなかったんです。いやいやいや、って、なりますよねそんな。意味がわからない、認めない意味がわからない。

いまから渋谷に行って確かめるかって、本気で誘いましたもんね。決着つくまで帰れないと思って、乗るはずの電車、何本かやり過ごしましたもんね。そしたらそいつはね「そんなに興味がない」って言うんですよ。「俺は忙しいからそんなところには行けない」とも言ってましたよ。そんなのね、そんなのおかしいでしょうよ。だって「渋谷にはヨドバシカメラは無い」んですもん。それを認めないで「渋谷にもヨドバシカメラはある」って主張して譲らない。
いったい何が、何が起きてるのか、さっぱりわかりませんでしたよね。あまりに腹が立ちましたよね。受験のストレスとかそういうんじゃなくて、ただ、雑談ですよ。ただの雑談。電車を待つあいだのほんの数分のね。「渋谷にはヨドバシカメラは無いよ」「あ、そうだっけ、ある気がしたんだけど」「うん、俺よく渋谷行くからさ、あるのはビックとヤマダ」「そっか!勘違いだった!」で済む話だっ、、、

突然の、ガシャーン!という音とともに暗転。
舞台上、ほの明かりがつくと男は消えている。
上手から、カバンとテキストを抱えた女の子が小走りに現れる。

(終)




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