新年度のはじまり。そして鬱屈

4月1日月曜日、晴れのち小雨

新元号が発表された。「安」の字が入るだとか新元号にかける思いを首相談話として公表するだとか、そういう噂を聞いてげんなりしていたところ、いい意味で裏切られた感じ。

「勝訴」とか、そういうコラージュを連想する。そういえば「平成」発表のとき小渕首相も同じ黒い額装で新元号を発表していたっけ。

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春といえば人事異動のときでもある。フェイスブックを見たら「編集長に就任しました」という書き込みがあった。組織の上にまで上り詰めた感ある! すごいなあ。

それに対して僕は──という引き比べる気持ちが浮かぶあたり、役職に対する憧れがくすぶっているんだと自覚せざるを得ない。先日はインドの研究所のトップになりましたとかいうのもあった。
フェイスブックには同年代で「出世」している人たちの声をたまに見かけて、そのたびにどこかがチクっと痛む。

出世したいのか? 役職が欲しいのか? そう自問すると正直なところ、わからない。なにやらグダグダな会議だとか決まらない方針だとか、そういうのを見てモヤモヤすることはある。決めてやるから権限を寄こせとおもうこともあった。
だからといっていま、僕がそういうグダグダの中に入って何ができるともおもえない。青臭い正論をぶちかまして「まあまあ」と宥められるのが関の山だろう。

どういったところで日本の巨大組織。年功序列あるいは組織図上の長い階層の「意向」があって、それを外さないこと、そして失敗しないことが重視される。(僕だって自分で大きな失敗は、そりゃあしたくない)
いつか暴発する爆弾を隣の人に手渡していく伝言ゲームにも見える。自分(たちで)は決めない。

僕の会社には本社出向組と会社採用組がいて(その他に有期契約社員、加えて派遣社員がいる)、僕は後者だ。かつてマンガやドラマの世界の話でしょう? とおもっていた「キャリア」「ノンキャリア」という枠組みが、やっぱりあるんだとおもう。
創業半年で飛び込んだときは本社出向組なんて数えるほどしかいなくて、ガンガン中途採用を増やしていた。恐ろしいほど我が強くてアクのある、自負に満ちた人たちがあふれていた。初代社長が出向解除され本社で役職を得たのをみて失望しているうちに2代目社長が強権をふるい「あんな分からず屋とはやっていられん」と社員番号二桁前半の才気あふれる人たちが次々と辞めていく、そんな時期もあった。
そのあたりから課長相当を張っていた会社採用組は、いまもその役職にいる。部長職を得た人たちもいたけれど、あるいは失職し、あるいは単に去っていった。

そしていま、何代目だろうか。本社出向の新社長が従来の組織構造に大ナタをふるって構造改革した結果、だいたいがところ本社出向組による役職者による縦割り組織となった。

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キャリアパス──みたいな単語が飛び交ったことも、あった。キャリア面談という時間も、ある。でも、いま、この僕のいる組織でどんなキャリアパスが描けるだろうか?

部があって課がある。そういう組織はできあがった。マネージメントの線ははっきりと形が与えられた。しかし技術側の道筋は依然として見えないままだ。この会社に「プロジェクト」がいくつあって、それぞれどういう仕事をしていて、どんな技術が必要とされ蓄積されているのか。平社員であるうちは、見えてこない。(課長でも見えないかもだし、部長だとどうだろう? 社長までいくとおぼろげにしか把握できないだろう)

そんな中で、どんな技術が求められているのか。3年後、5年後に役立つだろう技術は何か。技術を磨いていくことで確かに報われる道筋があるのか。

──と書いていて虚しくなってきた。技術なんて、それをわからない人が「これだ」と指し示すなんてできないものだ。それに「当たり外れ」で選ぶ技術なんてつまらない。報われるために技術を磨くのか? と聞かれたなら「否」と答えたい。

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「これ」が面白いからやらせろ! やっているうちにきっと伸びる!

そういう無理・無茶を通せる権限・裁量が、欲しい。

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