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わたしが感じる文章を書く難しさ🤔🤔🤔

最近、「文章を書くこと」、「文章が書けること」への憧れが強くなりました。それはわかりやすさを優先するために伝えたいことを標語のようにしたことで文脈をうまく伝えられないことや短い文章で説明が足りず誤解を生むことの課題を感じていたからです。そんなこともあり文章をしっかりと書ける人って素敵に思っていました。

今回、自分の環境を通して文章を書くということを見つめなおしたい思います。

文章を書く場面ってどんなとき?

私は日々過ごすなかで文章を書く機会があっても短文で終わってしまうことが多いと感じています。私と同様に大人になってから長い文章を書くことが減った人は多いのではないでしょうか。

日常生活で文字を書く場面を想像すると「ショートメッセージ」、「ToDoリスト」、「ツイート」、「メール」、「プレゼンテーション」が思い出されます。どれも短くて端的に伝えることを求められる場面です。

使われ方の違い

仕事の場面や友人、家族間での対話的な場面が多いため一方的に大量の文章を書く場面は少ないのがわかります。LINEなどのメッセージアプリで長文が送られてきたらビックリしますし、場合によっては「重い」というようなネガティブな感情を抱くことにつながります。

そのようなコミュニケーションの場面では長文を受け取るのに体力と時間を必要とします。そのためこういった場面では長い文章は敬遠されやすいのではないでしょうか。

ではそれらとは異なるそれなりに長めの文章が活躍する場面を思い浮かべると「書籍」、「雑誌」、「ニュース記事」、「Webの記事」など作家やライターなどのプロとして文章で生計を立てている人の文章、そして「ブログ」などの文章を書き慣れた人たちのものがあります。なぜこれらに対してネガティブな感情を抱かないのでしょうか。

ここに大切な違いあると考えています。私が普段書いている文章は、かって知ってる相手との対話を前提としたものであり、やり取りの中で結論を見つけていければよいコミュニケーションのための文章で、後者のプロや書き慣れている人の文章は対話がなくても成立する文章であると考えられます。

文章を書く難しさを感じる理由

私が憧れを感じた書きたい文章は対話がなくても成立するような文章だったのです。それは情報や考えをある程度体系的にまとめられていないといけないことになるのでしょう。そのため文章としての完成度が求められるため書くことへのハードルが高くなります。

このハードルの高さが鍛錬の障害になっているような気がしています。短文であれば「なにを伝える」かを考えていれば良かったのですが、後者の文章は対話がないため誤解が生まないように「体系立ててなにを伝える」かを考える必要があります。憧れていた様な文章を書けるにはそれを意識してトレーニングとしていくことが大切なのだと感じています。

誤解を招きやすい時代だからこそ、考えを体系立てて正しく伝える文章に価値が生まれるのではないかと期待しています。

文章の書き方は色々とあるのとは思いますがこの点を意識して文章を書く練習をしていきたいと思います。共感してくれる方がいれば嬉しいです。

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